夜探偵事務所

深妙寺・護摩堂
本堂から響いていた、世界を壊すかのような音は、もう聞こえない。ただ、夜の静寂だけが戻ってきた。だが、その静寂は、戦いが始まる前よりも、遥かに重く感じられた。
仁は、閉ざされた本堂の方を見つめたまま、静かに最後の真実を語り始めた。
「問題は、夜が勝った負けたでも、同級生の子供らを救ったことでもないんや」
健太も璃夏も、ただ黙って、その言葉に耳を傾けていた。
「夜が、あの日……15の時に、たった一人で深淵の者と戦いに行った、本当の理由は……」
仁は、一度、苦しそうに言葉を詰まらせた。
「……死にに…行く為やったんや」
「……」
健太は、息をすることさえ忘れていた。隣で、璃夏が声を殺して泣いている。
「結果として、その時の深淵の者よりも、夜の中にいる日(あきら)の方が、力が上回っとった。だから、夜は助かった。ただ、それだけのことなんや」
なんと、返事をすればいいのか。健太は、あまりにも重いその過去に、ただ声も出せずに立ち尽くしていた。
その時、護摩堂の扉が、ゆっくりと開かれた。
開けたのは、滝沢だった。彼は、いつものように飄々とした様子で、堂の中を覗き込む。
「……終わったみたいだぜ」
その言葉に、全員が本堂の方角へと視線を向けた。
暗闇の中から、二つの人影が現れる。一人は、夜。そして、もう一人は……夜に肩を貸され、か細い足取りで歩いてくる、加奈だった。その姿は、もはや深淵の者の禍々しさを失い、ただの、傷ついた少女にしか見えなかった。
「健太!」
夜が、健太を呼ぶ。
「は、はい!」
健太は、弾かれたように護摩堂から飛び出した。そして、すぐ目の前にいる加奈の姿を見て、思わずギョッとする。
「頼みがある」
夜の声は、真剣だった。
「こいつは、もう能力は使えない。そして、もうすぐ……旅立つ」
「だから、最後に、コイツの言葉を聞いてやってくれ」
夜は、健太の目を真っ直ぐに見つめた。
「怖がらずに。私を信じて、聞いてやってくれ。……頼む」
夜が、健太の前まで来ると、そっと加奈の腕を離した。支えを失った加奈は、その場に力なく座り込んだ。
健太は、夜の言葉を信じた。彼は、ゆっくりと加奈の前に進み出ると、両膝をつき、彼女と同じ目線の高さになった。
「……私ね」
加奈が、か細い声で話し始めた。
「ただ、健太君のことが、好きになっただけだったの……」
「でも、私の力が強すぎて……健太君を、たくさん怖がらせちゃったね」
「……」
健太は、何も言えなかった。
「ごめんね……健…太…く…ん……」
その言葉を最後に、加奈の体が、足元からゆっくりと透き通り始める。
健太は、消えゆくその小さな体を、たまらず、そっと抱き締めた。
腕の中で、加奈は、生まれて初めて見せるような、本当に幸せそうな顔をして、微笑んでいた。
やがて、その体は完全に光の粒子となって空気に溶け、健太の腕の中には、温もりだけが、一瞬だけ残った。
そして、後には、彼女が生きた証である花柄のワンピースだけが、静かに、地面に横たわっていた。
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