夜探偵事務所

夜は健太が淹れたコーヒーにはまだ口をつけず代わりに新しいタバコに火をつけた。
「まず私には特別な能力がある。それを先に話しとかないと話がこんがらがるな」
「そこから話そう」
夜は紫煙の向こうで悪戯っぽく目を細めた。
「例えば健太は昨日21時40分過ぎに自室で下半身を出しスマホでエッチな動画を見ながら一人で…」
「わぁー!何言い出すんですか!?」
健太の絶叫が事務所に響く。顔は茹でダコのように真っ赤だ。
「ん?何って私の能力についてだよ」
夜は心底楽しそうにケラケラと笑う。
「な、なんでそんなことまで……」
「私は近くにいる者の脳の中が見える」
夜はピタリと笑みを消して言った。
「思考も記憶も感情もな」
「えぇー!」
健太は今度こそ本気で驚愕した。そして何かに気づく。
「あ!じゃあ電話番号を交換したとき!俺が090までしか言い終わってないのに夜さんから電話がかかって来たのは俺の脳の中を見て!」
「そういう事」
夜はこともなげに頷いた。
「だから今後私に嘘や隠し事はムダだ。覚えとけ新人」
「は、はい……」
健太の額にじっとりと冷や汗が浮かぶ。
「それを踏まえて10年前の話をする」
【10年前 ― 夜 15歳】
もうこの頃には夜に自分から近づく同級生はいなかった。
夜が感情を昂らせると机や椅子が勝手に吹き飛ぶ。そんな彼女を誰もが「化け物」と呼び気味悪がって避けていた。
だが夜が本当に孤独だった理由はそれだけじゃない。
彼女には誰にも言っていないもう一つの能力があったからだ。
人の本音が分かってしまう。
たとえ口先で優しい言葉をかけてくれる子がいても夜には見えてしまう。その心の奥底にあるほんのわずかな恐怖心や好奇心が。
その「嘘」が見えてしまうから夜は自分から人を遠ざけた。
表向きの「化け物」というレッテル。そして誰にも言えない秘密の能力。その二つが彼女を、たった一人にした。
その頃ある事件が起きた。
山陰地方のとある山の土地神が暴走。全国から集められた腕利きの陰陽師たちが総出でそれを一つの祠に封印し強力な結界を張った。
その陰陽師の一人が夜の父仁だった。
仁は管理のためその祠を深妙寺の近くの山に移設した。祠の周りには厳重に金網が張られ仁が定期的に結界の様子を見に行くことになっていた。
だがいつしか夜が通う中学校でその祠に関する奇妙な都市伝説が流行り始めた。
なんでも祠の前には古代のパズルのようなものがある。
そのパズルを解くと美しい女神が現れてどんな願いも叶えてくれると。
夜は仁から真実を聞いていた。それがただの馬鹿げた与太話であることは分かっていた。
ある日の授業中だった。
隣の席に座るクラスの悪ガキ連中のリーダー格太一。その脳内から鮮明な映像が夜の頭に流れ込んできた。
(校舎裏)
仲間と話している太一。
「面白そうやん!」
竜二「せやろ?」
太一「ほな一人一分の制限時間でそのパズル解けるか勝負しようや」
和希「それええやん!」
太一「今日土曜やし今夜行こうぜ」
授業が終わるチャイムが鳴った瞬間夜は太一の肩を強く掴んだ。
「あの祠には近づくな!」
「あ?なんやねんお前!」
太一は突然のことに面食らっている。
「ええから近づくな!」
夜の鋭い声に教室中の視線が二人に集まった。
太一はその視線に気づき顔を赤くする。
「う、うるさいわ!お前に関係ないやろ!」
彼は夜の手を荒々しく振り払うと仲間たちとそそくさと教室から出て行った。
「ちっ!」
夜は悪態をつくことしかできなかった。
(下校中の夜)
夜の頭の中は焦りで満ちていた。
『あの祠の封印が解かれたらえらいことになる……』
『お父さん一人なんかじゃどうにもならん……』
(山本家の夕飯時)
「お父さん」
「ん?」
「今日道場で特別稽古があるからちょっと行ってくる」
「おぉそうか。分かった。夜気ぃつけてな」
「……うん」
父の優しい言葉に胸が少しだけ痛んだ。
(その日の夜)
夜は制服姿のまま街灯もない暗い山道をただひたすら走っていた。
息が切れ心臓が張り裂けそうだった。
『確か夜の7時に祠の近くで待ち合わせのはず……!』
間に合ってくれと。
夜は祈るように暗闇の中を祠へと急いだ。
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