夜探偵事務所
少年たちが闇に消えた後、祠の前には、夜と、異形の化け物だけが残された。
「ちょっと痛かったよ?お嬢ちゃん」
蜘蛛女は、脳天に残る痺れを確かめるように、首をコキリと鳴らした。その声は、女のようであり、蟲のようでもある、奇妙な響きを持っていた。
「化け物に痛覚なんかあんのか?」
夜は、竹刀を構え直しながら、挑発的に言い返す。
「化け物、ねぇ」
蜘蛛女は、クツクツと喉を鳴らす。
「これでも元々は、土地神という神の一柱だったんだけどねぇ」
「土地神も暴れ出したら、人間からすりゃ化け物と同じや」
「それは、その人間たちが、好き放題するからよ」
蜘蛛女の目が、憎悪に赤く光った。
その瞬間、夜は地を蹴っていた。問答は終わりだ。蜘蛛女の顔面に、霊力を込めた竹刀を、再度叩き込む。
「人間は、そういう生き物や!」
「くっ!」
蜘蛛女は、その一撃を、腕でかろうじて防いだ。
「そう…だからもう、人間なんてみんな、居なくなればいいのよ」
「やってみろ」
夜が言い放ったのと、蜘蛛女の手のひらから、数百本はあろうかという、鋼のように鋭い糸が放たれたのは、ほぼ同時だった。
夜は、咄嗟に後方へ跳ぶが、避けきれない。上半身に、粘着質な糸が、幾重にも巻き付いた。
「!」
次の瞬間、蜘蛛女はその糸を、凄まじい力で引き寄せた。夜の体が、軽々と宙を舞う。
そして、引き寄せられる夜の体を、待ち構えていた鋭い蜘蛛の足が、容赦なく貫いた。
凄まじい勢いで、夜の体は、再度、後方へと吹き飛ばされる。だが、糸はまだ繋がったまま。
「しまっ……!」
蜘蛛女は、その糸を再び手繰り寄せ、もう一度、蜘蛛の足で夜を串刺しにしようと構えた。
その、瞬間。
斬!
夜を縛っていた全ての糸が、一斉に断ち切られた。夜は、受け身も取れず、地面に叩きつけられる。
「……なんで、切れたの?」
蜘蛛女が、怪訝な声を上げた。
夜は、ゆっくりと立ち上がった。そして、これまで、日(あきら)の存在をこの世から隠すために使っていた霊力を、完全に、自分の中へと戻した。
夜の背後に、ゆらり、と。夜よりも深い、純粋な闇でできた人影が、その全貌を現す。
「何……?これ……」
蜘蛛女の声に、初めて、本能的な恐怖の色が浮かんだ。
「そいつも、一応、神やで?」
夜は、口の端に滲んだ血を拭う。
「死神っていうな」
「……見た目からして、完全にこっち側の子じゃない?」
蜘蛛女は、目の前の、巨大な鎌を持つ、黒衣の存在を、値踏みするように見た。
「間違いない」
夜は、少しだけ笑った。
彼女は、解放された霊力の全てを、竹刀の穂先へと注ぎ込む。竹刀が、黒いオーラを激しく放った。
そして、一直線に、蜘蛛女へと突っ込む。
だが。
すでに一度、手傷を負った夜の動きは、先ほどよりも、明らかに鈍い。
蜘蛛女は、その一撃を、巨大な足で容易く払い落とすと、がら空きになった夜の体に、別の足で、強烈なカウンターを叩き込んだ。
「がはっ!」
地面に倒れ伏した夜を、蜘蛛女は、その鋭い足で、上から容赦なく踏みつけた。
「なるほどね。今までの攻撃は、その死神が、肩代わりしてたわけ」
「でも……こうすれば」
ズブリ、と。蜘蛛女の足の先端が、夜の腹部に、深くめり込んだ。
夜の口から、大量の血が溢れ出す。
「守り切れないんじゃない?」
蜘蛛女が、嘲笑った、次の瞬間。
夜を踏みつけていた、その蜘蛛の足が、何の予兆もなく、宙を舞った。
切り飛ばされた足は、地面に落ちることなく、光の粒子となって、闇に消える。
「あら?」
蜘蛛女が、不思議そうに呟いた。
『僕が殺る。夜は、そこで寝てて』
頭の中に、日の、静かな声が響く。
「……うるさい。私が、やる」
夜は、朦朧とする意識の中、竹刀を拾い上げた。そして、殴りかかるが、その動きには、もう、スピードも、力もない。
その手首を、蜘蛛女が、いとも簡単に掴んだ。
そして、夜の首を、締め上げる。
「が……っ……」
体が、宙に持ち上げられた。
ヒュッ!
背後から、日の大鎌が、空気を切り裂く音を立てて、蜘蛛女の腕を狙う。
だが、蜘蛛女は、それをひらりとかわした。
そして、夜の首を掴む手に、さらに力を込める。
夜の意識は、そこで、完全に途切れた。