夜探偵事務所
健太は料金所のゲートをくぐり高速道路へと合流した。
ここから東京までは数百キロ。夜通し走り続ければ朝には着くはずだ。
風を切りアスファルトの上をひたすらに南へ南へとバイクを走らせる。
(帰るんだ……家に帰るんだ……)
それだけをまるでお経のように心の中で何度も何度も唱え続けた。
そうでもしないと恐怖で心が壊れてしまいそうだったからだ。
単調な高速道路。等間隔に並ぶオレンジ色の街灯が後ろへと次々と流れていく。
その単調さが健太の疲労しきった精神をゆっくりと蝕んでいった。
隣の車線を追い越していく家族連れのミニバン。その後部座席の窓に一瞬花柄の模様が見えたような気がして心臓が跳ね上がる。
目の錯覚だ。疲れているんだ。そう自分に言い聞かせた。
しばらく大型トラックの後ろをただぼんやりとついて走っていた。
トラックの汚れたリアパネル。そこにぼんやりと自分のバイクのヘッドライトが反射している。
その反射した光の中に健太はそれを見た。
(……え……?)
光の中に浮かび上がる女の顔。
あの花柄のワンピースの女がにたりと笑っている。
「うわっ!」
健太は思わず声を上げ急ハンドルを切った。バイクが大きくよろめく。
クラクションのけたたましい音が背後で鳴り響いた。
もう一度トラックのリアパネルを見る。
だがそこにはもう何も映ってはいなかった。
健太は次のサービスエリアに転がり込むようにバイクを停めた。
自販機で熱いコーヒーを買い震える手でそれをすする。
(疲れてるんだ……俺はどうかしてる……)
そう自分に言い聞かせようとしたその時だった。
駐車場の一番奥。
巨大なクスノキのその暗い影の中に一人の女が立っていた。
花柄のワンピース。
彼女はただじっとこちらを見ていた。
追いかけてくるわけではない。ただそこにいて健太のことを楽しそうに観察している。
健太は持っていたコーヒーの缶をアスファルトの上に落とした。
そして再びバイクに飛び乗った。
逃げるようにサービスエリアを後にする。
風を切る音がごうと耳元で鳴り響く。
その風の音に混じってあの声が聞こえ始めた。
『ねぇ……どこへ行くの……?』
「やめろ……やめてくれぇぇっ!」
健太はヘルメットの中で絶叫した。
だがその声は悪魔の囁きをかき消すことはできない。
どれくらい走り続けたのか。
やがて見慣れた東京のきらびやかな夜景が目の前に広がってきた。
だがその懐かしいはずの光景も今の健太には安らぎを与えてはくれなかった。
人混みが怖い。ビルの一つ一つの窓が全てこちらを監視している目のように見える。
すれ違う全ての女があの花柄のワンピースを着ているような錯覚に陥った。
やっとの思いで自分の住むアパートにたどり着く。
何度も鍵を落としながら震える手でドアを開けた。
そして部屋の中に転がり込むとすぐさまドアを閉め鍵をガチャリとかけた。
(……帰ってきた……)
(もう大丈夫だ……)
その安堵感を感じた瞬間だった。
張り詰めていた全ての緊張の糸がぷつりと切れた。
全身から力が抜けていく。
健太は玄関の冷たい床の上にそのまま崩れ落ちるとまるで泥のように深くそして暗い意識の底へと沈んでいった。