夜探偵事務所

健太の意識は消毒液のツンとした匂いの中でゆっくりと浮上した。
目を開けるとそこは真っ白な天井だった。
体を起こそうとする。だが動かない。まるで体中を見えない鎖で縛り付けられているかのようにぴくりとも動かせなかった。
(……なんだこれ……)
視線だけを動かす。
白い壁。白いシーツ。そして自分の腕には点滴の透明なチューブが繋がれている。
病院の個室だ。
その時部屋のドアが静かに開かれた。
入ってきたのは白衣を着た医者らしき男だった。
「気分はどうですか?」
医者はにこやかにそう話しかけてくる。
「大丈夫。すぐに楽にしてあげますからね」
そう言うと医者は注射器を取り出した。
そして健太の点滴のチューブにその注射器の中の液体を注入していく。
「や、やめ……」
声が出ない。
体がさらに重くなっていく。思考がゆっくりと麻痺していくのがわかった。
医者は満足そうに頷くと部屋から出て行った。
そして入れ替わるように一人の少女が部屋に入ってきた。
花柄のワンピース。
加奈だった。
彼女は靴を履いていなかった。素足のまま音もなく健太のベッドへと近づいてくる。
そしてベッドの縁にそっと腰を下ろした。
「……やっと二人きりになれたね」
加奈は嬉しそうにそう囁いた。
そして健太が身動き一つ取れないのをいいことにベッドの中に滑り込んでくる。
そして冷たい体で健太の体を後ろから優しく抱きしめた。
添い寝の状態だった。
その瞬間健太の喉が再びヒュッと鳴った。
空気が吸えない。
加奈の腕には全く力が入っていない。それなのにある見えない霊的な圧力が肺を直接締め上げているかのようだ。呼吸ができないのだ。
彼女のその存在そのものがこの部屋の空気から酸素を奪っていくかのようだった。
(くるし……)
加奈は苦しむ健太の耳元で甘くそして残酷に囁き続ける。
「大丈夫だよ……。もうどこへも行かせないから……」
「ずっとずっとこうして一緒にいようね……」
意識が遠のいていく。
このままでは本当に死んでしまう。
その恐怖が健太の心の奥底に眠っていた最後の生の意志を呼び覚ました。
「うわあああああああああっ!」
健太は絶叫と共に自分の部屋のベッドの上で勢いよく体を起こした。
そこは病院の個室ではない。見慣れた自分のアパートの一室だった。
だが体はびっしょりと汗で濡れ心臓はまだ激しく脈打っている。
そしてあの息が詰まるような苦しみだけが現実の感覚として体に残っていた。
悪夢はまだ終わってはいなかった。
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