夜探偵事務所
ガチャリという重い音がして、世界の扉が開かれた。
夜は健太の腕を掴んだまま、躊躇なくその事務所の中へと足を踏み入れる。
そして健太を中に引き入れると、すぐさま背後の扉を閉めていくつもの鍵をかけた。
外の喧騒が完全に遮断される。
部屋の中は静まり返っていた。
夜は健太の腕をようやく離した。
「……ここに入ればもう大丈夫だ」
彼女は感情の読めない平坦な声でそう告げた。
(大丈夫……?)
健太はその言葉の意味を理解できなかった。
彼は警戒しながら事務所の中を見回す。
部屋はそれほど広くはない。入り口のすぐそばに来客用の古びたソファが一つ。その向かいに大きな事務机が鎮座している。机の上には書類が山と積まれ、その脇には飲みかけのコーヒーカップと吸い殻で溢れた灰皿が置かれていた。
壁際には本棚がずらりと並んでいる。だがそこに収められているのは法律関係の専門書かと思えば、その隣には「悪魔召喚」などと書かれた怪しげな黒魔術の本が平然と並んでいた。
そして部屋の隅では、見たこともない奇妙な香が細い紫の煙を立ち上らせていた。
夜はそんな健太の警戒心など意にも介さず、自分の事務机の椅子に深く腰を下ろした。
そして、すぐさま、机の上に置いてあったタバコの箱から一本を取り出すと、慣れた手つきで、それに火をつけた。
ふぅー、と。
細く、長い、紫煙が、彼女の唇から、吐き出される。
「……それにしても」
夜は心底うんざりしたように言った。
「……あの電車の中は、うるさくてかなわなかった」
「え?うるさいって……。満員でしたけど、そんなに騒がしくは……」
「お前の、じいさんだ」
夜は健太の言葉を遮るように言った。
「私の目の前で、何度も、何度も、頭を下げて、『どうか、孫を、助けてやってください』と、そればかりだ。……執拗(しつこ)いにもほどがある」
「……じいさん……?」
健太は自分の耳を疑った。
祖父はもう三年も前に亡くなっている。
「どういうことですか……?おじいさんが、あなたに……?」
「その話は後だ」
夜は、再び、タバコの煙を、天井に向かって、ゆっくりと吐き出した。
そして、その、煙の向こう側から、夜色の瞳で、健太を、真っ直ぐに、射抜く。
「さて。……お前に何があったのか、最初から、全部、話せ」
その声には決して逆らうことのできない、絶対的な力がこもっていた。
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