策士の優男はどうしても湯田中さんを落としたい

6

あの夜から数日。

オフィスは、何事もなかったかのようにいつも通りだった。
コピー機の音、キーボードを打つ音。
規則正しく繰り返される、静かな喧噪。

「中瀬くん、ここの数字ズレてる」

「え、どこっすか?」

「ほら。ここのIF式。条件逆だよ」

「あ、ホントだ…」

ディスプレイを覗き込む瑠璃の声は、相変わらずそっけなかった。
その指先が資料の一点を差すたび、祐はあの夜の、スッと差し出されたグラスを思い出す。
胸元が大胆に開いたドレス。
作り笑顔の裏の、ほんの一瞬の鋭い眼差し。

(まるで別人だったのに。…やっぱり先輩だ)

なのに。

今の彼女は、黒いジャケットに無造作にまとめた髪。
いつも通り、きちんとした先輩だった。

「この間、どこか飲みに行きました?」

ピタリ、と瑠璃の指が止まる。
そしてゆっくりと視線が祐に向けられた。

「何の話?」

「いや、なんか、似た人がいたんで」

「…は?」

瑠璃はあきれたようにため息をついた。

「いいから仕事しなさい。余計なことに頭使わないの」

「ひどいなぁ」

祐は笑った。
けれど、その視線は無意識に瑠璃を追ってしまう。

机に向かうときの、背筋の伸びたライン。
ペンを持つ細い指。
ふと疲れたように目を伏せる、あの横顔。

(先輩は何考えてんだろうな)

あの夜、確かに目の前にいたのは湯田中瑠璃だった。
なのに、いまだに瑠璃は何もなかった顔をしている。
目すら合わせない時もある。

そんな瑠璃の態度が、祐にはたまらなく癪にさわった。

そして同時に、ますます目が離せなくなっていた。
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