やさしく、恋が戻ってくる
出張を終えて東京に戻った日。
浩司は、久しぶりに早く上がった帰り道に、なんとなく歩き慣れた道を選んでいた。
特に理由はなかった。
ただ、今日子とよく歩いた並木道が、ふと恋しくなっただけだった。
カフェの前を通り過ぎようとした、そのときだった。
ガラス越しに見えたのは、笑い合うふたり。
今日子と、見覚えのある男。
(……藤木)
喉の奥が一瞬で詰まった。
立ち止まって、何かにすがるように目を凝らす。
席に向かい合って座る二人。
今日子はまっすぐ相手を見つめ、何かを話している。
藤木はただ黙って聞いている。
(……なんで、俺が知らない顔してるんだ)
カフェのガラスは、光を柔らかく反射していた。
ふたりの表情ははっきりとは見えない。
でも、その空気だけは伝わった。
深くて、静かで、優しい。まるで誰かと誰かが、「ちゃんと終わろうとしている」空気だった。
(今日子……)
足が一歩、出なかった。
会いたくて戻ってきたのに。言葉にできない想いを抱えてきたのに。
今の彼女の中に、自分がいないような気がした。
「……遅かったか」
ぽつりと、誰にも聞こえないようにつぶやく。
スマホがポケットの中で温かいまま、その画面を開くこともできず、浩司は一歩も動けなかった。
まるで、遠くからガラス越しに見る彼女が、もう別の世界に生きているようにさえ思えた。
けれど、彼女の口元がふと、震えたように見えた。
その目が、わずかに潤んでいた気がした。
(……終わったんじゃない。終わらせてる、最中なんだ)
その瞬間、浩司はようやく足を動かした。
見届けるために、ではない。もう一度、ちゃんと向き合うために。
まだ遅くないと信じた。
いや、これからが始まりだと、自分に言い聞かせながら。
「……ありがとう、藤木くん」
今日子は、最後までまっすぐに頭を下げた。
彼のやさしい笑顔と「じゃあね」の一言が、まるで背中を押してくれるようだった。
カフェの扉が開いて、外気が頬をなでた。夕焼けが、ビルのすき間を金色に染めている。
カラン、と小さな音。ドアが閉まると同時に、今日子はゆっくり歩き出した。
その瞬間だった。
「……今日子?」
聞き慣れた低い声が、すぐそばで響いた。
一瞬、時間が止まった。
ゆっくりと顔を上げると、そこには、信じられないほど懐かしくて、でもどこか少し痩せた浩司が、立っていた。
「……こうちゃん?」
思わず声が漏れた。
息が詰まる。
さっきまで、あれほど冷静だったはずなのに。別れを告げた直後の自分の心が、急にぐらりと傾く。
浩司は、何も言わず、ただじっと今日子を見つめていた。
「……なんで、ここに……?」
「偶然。通りかかっただけ」
視線が一瞬、カフェの中に向いた。
そこにまだ藤木がいることに気づいたかどうかはわからない。
でも、浩司の目にははっきりと、今日子の頬の赤みと、微かに滲む目の奥の光が映っていた。
「誰かと会ってた?」
「……うん。でも、もう帰ったよ」
ほんの少しの間。沈黙が二人を包む。
今日子は、視線を落としてから、
ふっと小さく笑った。
「久しぶりだね、こうちゃん。会うの、ずいぶん……」
「……うん。久しぶりだ」
ふたりの声が、重なるように響いた。
風が吹いた。今日子の髪がふわりと舞って、浩司は、思わずひとつ、深く息をついた。
浩司は、久しぶりに早く上がった帰り道に、なんとなく歩き慣れた道を選んでいた。
特に理由はなかった。
ただ、今日子とよく歩いた並木道が、ふと恋しくなっただけだった。
カフェの前を通り過ぎようとした、そのときだった。
ガラス越しに見えたのは、笑い合うふたり。
今日子と、見覚えのある男。
(……藤木)
喉の奥が一瞬で詰まった。
立ち止まって、何かにすがるように目を凝らす。
席に向かい合って座る二人。
今日子はまっすぐ相手を見つめ、何かを話している。
藤木はただ黙って聞いている。
(……なんで、俺が知らない顔してるんだ)
カフェのガラスは、光を柔らかく反射していた。
ふたりの表情ははっきりとは見えない。
でも、その空気だけは伝わった。
深くて、静かで、優しい。まるで誰かと誰かが、「ちゃんと終わろうとしている」空気だった。
(今日子……)
足が一歩、出なかった。
会いたくて戻ってきたのに。言葉にできない想いを抱えてきたのに。
今の彼女の中に、自分がいないような気がした。
「……遅かったか」
ぽつりと、誰にも聞こえないようにつぶやく。
スマホがポケットの中で温かいまま、その画面を開くこともできず、浩司は一歩も動けなかった。
まるで、遠くからガラス越しに見る彼女が、もう別の世界に生きているようにさえ思えた。
けれど、彼女の口元がふと、震えたように見えた。
その目が、わずかに潤んでいた気がした。
(……終わったんじゃない。終わらせてる、最中なんだ)
その瞬間、浩司はようやく足を動かした。
見届けるために、ではない。もう一度、ちゃんと向き合うために。
まだ遅くないと信じた。
いや、これからが始まりだと、自分に言い聞かせながら。
「……ありがとう、藤木くん」
今日子は、最後までまっすぐに頭を下げた。
彼のやさしい笑顔と「じゃあね」の一言が、まるで背中を押してくれるようだった。
カフェの扉が開いて、外気が頬をなでた。夕焼けが、ビルのすき間を金色に染めている。
カラン、と小さな音。ドアが閉まると同時に、今日子はゆっくり歩き出した。
その瞬間だった。
「……今日子?」
聞き慣れた低い声が、すぐそばで響いた。
一瞬、時間が止まった。
ゆっくりと顔を上げると、そこには、信じられないほど懐かしくて、でもどこか少し痩せた浩司が、立っていた。
「……こうちゃん?」
思わず声が漏れた。
息が詰まる。
さっきまで、あれほど冷静だったはずなのに。別れを告げた直後の自分の心が、急にぐらりと傾く。
浩司は、何も言わず、ただじっと今日子を見つめていた。
「……なんで、ここに……?」
「偶然。通りかかっただけ」
視線が一瞬、カフェの中に向いた。
そこにまだ藤木がいることに気づいたかどうかはわからない。
でも、浩司の目にははっきりと、今日子の頬の赤みと、微かに滲む目の奥の光が映っていた。
「誰かと会ってた?」
「……うん。でも、もう帰ったよ」
ほんの少しの間。沈黙が二人を包む。
今日子は、視線を落としてから、
ふっと小さく笑った。
「久しぶりだね、こうちゃん。会うの、ずいぶん……」
「……うん。久しぶりだ」
ふたりの声が、重なるように響いた。
風が吹いた。今日子の髪がふわりと舞って、浩司は、思わずひとつ、深く息をついた。