やさしく、恋が戻ってくる
昼の顔合わせを終え、駅までの道を、今日子と浩司はふたりで歩いていた。
まだ午後の光は残っていたけれど、夕暮れがにじみ始めた冬の空は、どこか清々しかった。

「……ふう」

浩司が、小さく息を吐いた。

「お父さん、めっちゃ睨んでたね」

今日子が冗談めかして笑うと、浩司も笑ってうなずいた。

「まあな。でも……俺なりに、ちゃんと話せたつもりだ」

「うん。……すごく、かっこよかったよ」

その言葉に、浩司はちらりと彼女を見た。

「……マジで?」

「マジで」

そう言って笑う今日子の手を、浩司はゆっくりと、自分の指で包み込んだ。

歩道の街路樹に、小さな冬芽が揺れている。ふたりの歩幅が自然と揃い、足元の影も重なる。

しばらく無言で歩いたあと、浩司がぽつりとつぶやいた。

「……今日から、俺の婚約者だ」

その声は、思った以上にしみじみとしていた。

「長かった。……マジで、長かった」

今日子はその声に、ゆっくりと横を向いた。

「……うん。わたしもそう思う」

「最初は、“あの子、まだ高校生だぞ”って思いながら……どこまで待てばいいのか、自分でもわからなかった」

「……待っててくれて、ありがとう。わたし、ほんとうに幸せだよ」

「俺もだよ。……ようやく、こうして堂々と“好き”って言える」

信号待ちの横断歩道で、浩司は立ち止まり、今日子の手を引いて、目を見つめた。

「今日子。これから、ちゃんと一緒に生きていこうな。焦らなくていい。でも、ひとつひとつ積み重ねていこう」

「……うん。がんばる」

「俺も、建築士の試験。絶対に受かるから」

青信号が灯り、ふたりはまた歩き出す。

ただ手をつなぐだけで、こんなにも未来があたたかく感じられるなんて、今日子は思いもしなかった。

(“こうちゃんの婚約者”……なんだ、わたし)

心の中でその言葉を繰り返しながら、今日子は小さく笑った。



週末の午後。
今日子は、スーツケースとトートバッグを手に、浩司の部屋へと向かった。

春から始まる新生活に備えて、いまは“準備”という名目で、何度か行き来している。
けれど、今日は違う。

「婚約者」として、初めて迎える夜。

玄関のチャイムを鳴らすと、インターホン越しに浩司の声が聞こえた。

「今日子? 開いてるよ」

ドアを開けると、リビングから浩司が顔を出した。

「よう。……おかえり」

「……ただいま」

たったそれだけの言葉が、今日は特別にあたたかい。


隣に並んで眠るだけのつもりだった。なのに、ふたりの距離は、あまりにも近すぎて。

「……今日子」

静かに呼ばれた名前に、胸がきゅんと締めつけられた。

「うん……?」

声が震えたのを、きっと浩司は気づいている。

「こっち、向いて」

おそるおそる身体を向けると、やわらかな灯りに照らされた浩司の顔が、すぐそこにあった。

「……可愛いな」

「え……」

「今日子が、俺の婚約者だって思うだけで……胸がいっぱいになる」

囁かれる言葉に、顔が一気に熱くなる。

次の瞬間、浩司の手がそっと頬に触れた。指先が、髪をなぞって、耳のうしろをかすめて、そのまま、首筋へ。

「……んっ」

ぞくん、と身体が震えた。

「びっくりした?」

「……うん。ちょっとだけ」

「ごめん。でも……触れたくて、たまらなかった」

そう言って、彼はやさしく、今日子の唇にキスを落とした。触れたか触れないかのような、淡いキス。

それが何度も、そっと重ねられるたびに、今日子の心は、蕩けていくようだった。

「……ねぇ、今日子」

「なに……?」

「好きだよ。ずっと。……俺のものになってくれて、ありがとう」

「……うん」

そう囁きながら、浩司の手は、今日子の背中をゆっくり撫でるように動いた。

「可愛くて、たまんないよ……でも、大事にしたい」

何度も名前を呼ばれて、そのたびに、胸の奥がくすぐったくなって、今日子は浩司の胸元に顔を埋めた。

「……うれしい……わたしも、こうちゃんがすき」

「知ってる。……ちゃんと伝わってる」

そのまま、ふたりはそっと抱き合って、ぬくもりを分け合うように、静かな夜を迎えた。

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