やさしく、恋が戻ってくる
窓の外に目を向けると、朝の光がカーテンのすき間から静かに差し込んでいた。
朱里のいない家は、まだ慣れないほど静かで、どこか空洞のようにも感じる。

けれど…
その空白の先に、今日子は思う。

これからは、夫とふたりの暮らしが始まるのだ。


今日子はソファの背にもたれて、大きく息を吐いた。

これからまた、ふたりになる。

ただの「夫婦」ではなく、
かつて、恋人だったふたり。

時が経っても、親になっても、
「女」と「男」として、もう一度近づくことができるのだろうか。

その答えを探すように、
今日子はふと、寝室の方を振り返った。

まだ眠っているはずの、浩司の気配。

きっと、あの人もどこかで少し、戸惑っているのかもしれない。

今日子は立ち上がり、マグカップを片手にキッチンへ向かった。
始まる。
あの頃とは違う、ふたりだけの新しい暮らしが。



「……起きてたのか」

寝室から出てきた浩司が、あくびをひとつ。
Tシャツに寝癖のまま、のそのそとリビングへ入ってきた。

「うん。コーヒー入れる?」

今日子がキッチンから声をかけると、浩司はソファにどさりと座りながら頷いた。

「頼む。ミルク、ちょっとだけな」

「わかってる」
ふたり分のマグカップに、音を立てて湯を注ぐ。

朱里のいない朝。
けれど、特別な会話があるわけじゃない。
長年連れ添った夫婦らしい、静かなリズムがそこにあった。

「……朱里、元気でやってるかな」
浩司がふと、ぽつりと言った。

今日子は少しだけ驚いて、手を止めた。そして、すぐに微笑む。

「たぶんね」

「そうだな」
浩司は短く返すと、マグカップを受け取り、少しだけ口をつけた。

「……静かだな」

「うん。静かすぎるくらい」

しばらく沈黙。
だけど、その沈黙はどこか心地よかった。

テレビもつけず、スマホも見ずに、ただふたりで朝の時間を味わう。

この“空白”を、どう埋めていくのかは、きっとこれからのふたり次第。

そのことを、言葉にしなくてもどこかで感じていた。

今日子はそっと浩司のマグカップに目を落とす。まだ半分も飲んでいない、
ミルク入りのコーヒー。この人の味覚も、呼吸も、私はちゃんと覚えている。

でも、覚えていないふりをしていたのかもしれない。
< 7 / 52 >

この作品をシェア

pagetop