俺様な忠犬くんはご主人様にひたすら恋をする
「この店、ほんとに素敵ですね」

瑞希は、少しだけ頬を緩めながら言った。
佐久間大和が予約してくれたのは、落ち着いた照明のビストロ。賑やかすぎず、静かすぎず、ほどよい距離感の空間だった。

「よかった。月岡さん、仕事の時はいつも張りつめてるから、今日は少しでもリラックスできたらなって」

「……そんなふうに見えてました?」

「うん。でも、それが月岡さんの魅力なんだと思いますよ」

彼の言葉は、まっすぐで、やわらかい。
瑞希は、ワインのグラスを少しだけ揺らして、返事の代わりに小さく笑った。

――優しい人。
この人となら、安心して歩ける気がする。
一緒にいれば、静かに心が整っていく気がする。

だけど。

(なのに、どうして……)

佐久間が何気なく笑うたび、目の前に“もうひとりの男”の姿がちらつく。
不意に手を伸ばしてきて、当然のように触れてきたあの人。
黙っていても、感情だけはストレートに伝わってきた、あの目。

(……忘れたはずだったのに)

「月岡さん?」

「――っ、すみません、なんでもないです」

「無理してませんか?今日、来てくれて、嬉しいけど……辛くなったら言ってくださいね」

やさしい。
本当に、優しすぎるくらい。

瑞希は、深く息を吸ってから、目を伏せた。

「私、たぶん……まだ、佐久間さんみたいには……」

「……うん。知ってます」

「え?」

「でも、少しずつでも、月岡さんが前を向けるように――そんな時間を、一緒に作れたらいいなって思ってます」

佐久間の言葉は、あたたかかった。
少しだけ罪悪感のようなものが残った。

前を向きたいのに。
進みたいのに。
なのに、まだ。

心の奥に、刺さるトゲが、まだ取れないのだ。
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