あなたに恋する保健室
「また夫婦喧嘩? 朝から仲がいいこと~」
 私たちのやりとりを眺めていた女子生徒の氷室はるかさんは頬杖を付きながらくすりと笑う。
「夫婦じゃない!」
 私たちは息ぴったりに否定する。しかし、これがまた逆効果だったようで。
「息ぴったり! さすがだね」
「もうっ……あ、ほら、そろそろ職員室行くよ」
「へいへい」
「じゃあ行ってくるね、氷室さん」
「はーい」
 小さな幸せが保健室に満ちる朝。
 こんな日々を送っていて、私はとても幸せ者だと思う。
 でも、心の奥底には《あの時のまま》封印された過去がある。

『もう誰かの最期を見送るのは限界です……』

 都心の急性期病院で病棟看護師として三年働いた。
 懸命に命と向き合ってきたと思う。それでも急変で逝ってしまう患者さんたちはいる。悲しみに涙を流すご家族。苦しい看取りの現場。
 あの空間に慣れることができず、私は逃げた。

 そう、私は逃げたのだ……。
 生きるものはいつか必ず死ぬ。それは当たり前のことだと理解している。
 そんな当たり前のことに、私は向き合えなかった。死から遠ざかるしかなかった。

 でも、あなたは違った。
 少年のような澄んだ瞳で命を見つめ、生物教師として「死から学ぶこと」をまっすぐに伝えている。

 初恋のあなたに再会して、私はまた恋をした。
 そして今度こそ、閉じ込めたままの心と、向き合わなくちゃいけない──そう思った。
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