秘めた恋は、焔よりも深く。
夜の10時を少し過ぎたころ。
龍之介は帰宅後、シャワーを浴び、缶ビールを片手にリビングのソファに深く腰を沈めていた。
部屋の明かりは落とし、手元の間接照明だけが、ほんのりと温かな光を灯している。
テレビはつけていない。静かな部屋に、冷蔵庫のモーター音だけが微かに響いていた。

ふと、今日のやり取りが脳裏に蘇る。

「このあたりに来たのは、内覧の帰りなんです」

あのときの彼女の横顔。落ち着いた声。
けれど少しだけ、不安を滲ませていた。

「……あのマンション、もし彼女が選んだら……」

口に出す代わりに、心のなかでそう呟いた。
美咲が、すぐ近くに住んでいたら。
買い物帰りに偶然会って、なんでもない会話を交わして。
休みの日に、「コーヒーでもどうですか」と言えたら。
いや、言えなくても、同じエリアにいるというだけで、なぜか落ち着けるような。

「……一緒に住めたら、か」

思わず口元に笑みが浮かぶ。
それは現実味のある未来というより、夢に近い妄想だった。

だけど、そんなことを思ってしまう自分が、ちょっと可笑しくて、でも愛おしかった。
龍之介はソファに身を預けたまま、空になった缶を見つめる。
この部屋に、佐倉美咲という存在が加わったら。
あの穏やかな声が、この空間に響いたら.....

想像は、簡単に止められなかった。

「……やっぱり、味気ないものだな。一人の部屋って」

小さくつぶやいて、龍之介は目を閉じた。

次に会えるのはいつだろう。
その想いだけが、静かに胸の奥に灯っていた。

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