キラくんの愛は、とどまることを知らない
004
「ひよ子、本当に全部置いてっていいの?」
「うんっ! むしろ助かる! ヒカリはセンスいいんだもんっうれしい」
キラさんのマンションを出た私はその足で大学時代の友人、ヒカリの所有するマンションに来ていた。
すでに結婚相手と新居での生活を始めている彼女には不要となったこの1LDKのマンションの一室が、今日から私の住まいだ。
「ひよ子が住んでくれることになって、私としても本当に助かるよ。コウくんと喧嘩したら泊めてね」
「もちろんだよ! 喧嘩はしないにこしたことないけど、いつでも帰って来て! 大家さんとして、鍵も持っててね。綺麗に使うつもりだから」
私の家の事情を知る数少ない友人の一人であるヒカリは、いつも私の事を心配してくれていた。何度も実家を出ることを進めてくれていたが、お金のこともそうだが私はあの危険な父を一人にはできずいつも断るしかなかったのだ。
「お父さんの事はアレだけど、ひよ子が実家の呪縛から逃れられてよかったよ。借金とかは大丈夫なの? あ、だから実家に住めなくなったの?」
「……借金はある、でも昔の知り合いがまとめて立て替えてくれてね。何年かかるかわかんないけど、その人に返すことになったの。だから、ヒカリが提示してくれた家賃、本当にありがたい」
「へぇ、そんな知り合いいたんだね。もっと早くなんとかしてくれればよかったのに」
キラさんの事は誰にも言うつもりはない。地下空洞の件も、公になるまでは言えない。大体、私のような女があんな人と知り合いだと言ったところで、信じては貰えないだろう。
この日、ヒカリは引っ越し祝いだと言って泊まっていってくれた。
──────
「吉良、ちょっといいか?」
新居での生活も慣れた頃、突然主任に呼ばれた。
「なんでしょうか」
「上からの通達で、ウチのシステムも入れ替えることになったんだよ。年寄りたちはそういうの拒絶反応を起こしてるからさ、俺に回ってきたんだけど、手伝ってくれないか?」
「……システムの入れ替え、ですか。はい、お手伝いします。どこかの業者は入るんですか?」
「ああ、zuv.tecとかいう洒落たIT企業のシステムだ。近いうちにエンジニアとプログラマーのチームが打ち合わせに来るらしい」
その名前を聞き、心臓が飛び跳ねそうになった。
「……zuv.tecですか? ここに来るのは、そこの子会社とか下請けとかの方ですよね?」
「そうじゃないか? まさか、あんなでかい所がウチみたいなとこのシステムの入れ替えくらいで出てこないだろ」
よかった、そうだよね。そもそも、あの人が現場になんて出るはずはない。なにせ、特別顧問なのだから。
そう思ってはいても、なんだか胸騒ぎがしてならなかった。
そして、初回打ち合わせ当日───
打ち合わせに来たのは、やはり子会社のSEとプログラマーだった。
なぜかホッとしたのと同時に、彼の顔が頭に浮かんだため、私は大げさに頭を振って脳内を切り替える。
難しい専門用語を使わず、なるべくわかりやすい説明をしてくれたおかげで、新システムについて詳しく知ることが出来、こちらの要望もきちんと伝える事ができた。子会社でこのレベルであれば、zuv.tecが有名なるのも納得だ。
しかし打ち合わせの後、少しの雑談の時間に主任がいらぬ話題を出してしまう。
「いやぁ、zuv.tecの子会社と伺いましたが皆さんお洒落ですね」
「打ち合わせの時だけですよ、納期前になると、全員ゾンビ状態で見れたものではありません」
「あ、デスマーチってやつですか? 大変なお仕事ですよね、我々のような平和ボケした人間とは違うんでしょうね」
「ははは、こちらの業務も国民が生活するうえでは欠かせないお仕事ではないですか。ミスが許されず大きな責任が伴うという点では、我々の業務も、こちらの業務も同じですよ」
あ、この人は同じようなことを言われ慣れている、と思ってしまった。
お洒落なオフィスカジュアルを着こなし、腕には高そうな時計、ヘアスタイルも美容室からそのまま来ましたと言わんばかりにきちんとセットされていて、眼鏡すらファッションの一部に見える。心なしか、いい香りも。
一方で主任は会社で配布された作業着の上着を羽織り、実用性の高い防水や耐久性に優れた腕時計、セットのいらない単純な髪型だ。
だがそれには理由がある。
公務員ではないにしても、利益を追求する立場にない我々は、あまり華美な装いにすると、来訪者からいい印象を持たれないのだ。
一度、デオドラントスプレーの香りをさせていただけで、窓口に来ていた見知らぬお年寄りから臭い! とクレームを入れられた女子社員がいたこともあるほどだ。
だから私達は地味でいる。でも私にはそれが合っている。お洒落にはお金もかかるので、したいとも思わない。
SEさん達を見送った後、主任が呟いた。
「あんな風にお洒落して毎日出勤するって、大変だよな……でも、あの人達はそれも込みで、仕事にやりがいを感じるのか……」
「そうですね、そもそもお洒落が好きで、お洒落なイメージのその職業を選ぶ人もいるでしょうし」
「女性受けもよさそうだよな……俺、こんなだからモテないのかな?」
「それも好みだと思いますよ、価値観の違いです。私は恋人がデート前にヘアセットに1時間もかけていたら嫌ですけどね。なんでもいいから早く行こうよ、って言っちゃいそうです」
「……ああ、いるよな、男も女もそういう奴……ミリ単位で髪の位置を気にしてる奴……」
「はははっいますよね」
主任とはあの出張以来、すごく打ち解けた気がする。
でも、先ほどの発言からして本人は気づいていないようだが、主任は結構女性社員にモテている。
“みんなの主任”という位置づけにされてしまっているだけなのだ。
可哀想だが、恋人は社内ではなく他所で見つけてもらいたい。