キラくんの愛は、とどまることを知らない
「───私とキラさんとでは、住む世界が違い過ぎるようです」
タブレットに触れる手が先から冷えていく気がした。
「な、何言ってんだよ……」
笑って馬鹿にしてしまえばいい、住む世界などこの世には一つしかないと……
「知らなかったとはいえ、今まで知らずにいて失礼な言動をしてしまってすみませんでした……社会の中でいくらでも代わりの利くただの一般人の私とは違って、キラさんは代わりのいない欠かせない人で……きっと価値観も何もかも私は貴方に釣り合いません」
代わりの利く一般人だと……? 自己評価が低すぎる。少なくとも、俺にとっては代わりなんていないのに、何故わからないんだ。
「正直言って、このマンションは私には広すぎますし、お風呂もスパのようで落ち着きません。洗濯物もキラさんのように毎日クリーニングに出さなければいけないようなドライマークの高い服はほとんどありません」
洗濯は苦手なだけで……ドライマークってなんだ? 俺の服はそうなのか? 違う、つまり俺はただ無頓着なだけで……相馬もそうだが、ひよ子も俺について何か勘違いしている。
「好きに食べろ、と言われた冷凍庫の中のアイスだって……一つ1,000円もする高級なやつですよね? 恐れ多くて手に取れませんでした。健二さんの食事は美味しいですが、本来ならこんな据え膳を頂けるような人間ではないです」
「あのアイスは、客からの貰いもんだ! それにっ……健二の飯だって俺のついでで……」
ひよ子は無言で首を横に振った。
普段なら受け取らずに相馬にくれて秘書室で配らせていたが、今はひよ子が食べるかと思って貰ってきただけなのに……迷惑だったのか……
「私は、スーパーで買える120円のアイスでいいんです。洗濯機があれば自分で洗って干します。食事も人に作ってもらわなくても自分で買い出しに行って、安い食材で自分で作れます……もしかしたら、私の言動はお金持ちの方からすれば、貧乏くさいと思われるかもしれませんけど……そういった部分だけでも私達は価値観が違いすぎると思います」
「俺だって、スーパーくらい行ったことはある! 安いアイスも食べたぞ! 洗濯機は苦手だが……何が違うんだ」
同じ公園で遊んでいた仲なのに……幼稚園と保育園はそんなに違うのか? 公立と私立じゃそんなに違うのか? 別にそんなことないだろ。
「……キラさん、私、今週末にはここを出ます。知人が結婚して所有しているマンションを貸しに出すと言うので、安く貸してもらえることになりました」
「っそんな急に! 駄目だ!」
今週末って、今日はもう金曜だぞ!
「急じゃありません。父の葬儀から今日でひと月……ずっと考えていました」
「たったひと月で、俺の20年間の想いがわかったってか? 馬鹿にすんな、俺はまだ何も───っ……」
駄目だ、今この場でひよ子に怒りをぶつけた所で何の意味もない。
まだデートもしてないし、食事にも誘えていないし、プレゼントも出来ていない……ひと月もあったのに……俺は何をしていたんだ……?
「キラさんの20年間をお返しすることはできませんが、これから先の未来はもう自由です。子供の頃の私との約束は今日で忘れてください。これからは貴方の済む世界の中で、同じ価値観の方との幸せを見つけてください」
「……」
言葉が出てこない。
別にこの20年間、ひよ子との約束だけのために生きてきたわけではないが、あの約束があったから、俺は親の敷いたレールには乗らずにいろんなことにチャレンジしては効率よく金を稼ぐ方法を模索していた。
俺にとっては尊い希望でもあったあの約束を、まるで呪いだったとでも言うのはやめてくれ。
「父の借金は、何年かかるかわかりませんが必ずお返しします。毎月チマチマ返されても迷惑だと思いますので、なるべくまとまった金額でお返ししたいと思っています! ですので、利子をつけて頂いても結構ですので少し猶予を頂けたらと……」
……金? そんなもんは返さなくていいから、ここにいて欲しい。
「金は返さなくていい、ここにいてくれ」
「それは出来ません」
「っ───なんでっ!」
「私にだって、プライドがあります。今のようにキラさんに飼われているも同然の生活を続けていけば、その内に働く意欲もお金を稼ぐ喜びも価値も何もかもなくなってしまいそうで嫌なんです」
なんだそれ、意味が分からない。飼われている? 俺がいつひよ子を飼ったんだ。一つも思い通りにならないし、一番懐いてくれなかったくせに。
「そんなに……俺が嫌いなんだな」
「嫌いとかそういう次元ではありません。私からしたらキラさんは、会社の社長どころか、県知事や国会議員も同然に私生活では絶対に関わり合う事がないはずの雲の上の人なんです。わかってください……キラさんだって、大国の大統領と一つ屋根の下で生活しろと言われたら居心地悪いでしょう?」
逆に面白そうだけどな、チャンスだと思って仲良くなりに行くと思うが。
「───っとくかく、今週末だなんて急すぎる! 駄目だ!」
「……お世話になりました。健二さんにもよろしくお伝えください」
ひよ子は俺の言葉など聞く気はないらしい。
───翌日、ひよ子は静かに出て行ってしまった。
夕方健二に聞いたところによれば、ひよ子は届いた自分の荷物の一切を解かず、段ボールに入れたままこのひと月過ごしていたという。
要するに、彼女はそもそも最初から出て行くつもりでいたのだろう。俺とのことなんてこれっぽっちも考える気なんてなかったに違いない。
「俺が何したってんだ……そこまで嫌う事ないだろ? 4畳半一間で二人ってわけじゃないってのに……同じ空気吸うのも嫌だって事か? どうなんだおい、ニワトリ、タマゴっ……」
(にゃぁ~ご)
(にゃぁ~ん)
少しスマートになった二匹を見て、今更ながらひよ子がしっかり二匹と遊んでくれていたのだと気づいた。
「お前ら、またデブ猫に逆戻りかもしれないぞ……悪いな……」
この日のすぐ後、海外の契約先からの要請により、俺は相馬に引きずられるように渡米した。
───……今更やる気なんて起きない……俺は何のために働いてんだ?