キラくんの愛は、とどまることを知らない

008

 
 翌週、すっかり調子の戻った私は普通に仕事に行くことが出来た。
 
 土曜日の午後、心配したヒカリがフルーツの盛り合わせを持ってキラさんのマンションまで来てくれた時は、一体何事かと思ったが、どうやら病院でキラさんとコウくんが連絡先を交換していたらしいのだ。
 
 多方面に多大なるご迷惑をかけた今回の珍事は、ヒカリによって“遅すぎた初恋による弊害”と言うことで片付けられ、そんなことを知らないキラさんは、精密検査に行けとうるさい。勝手に来週病院の予約までしていた。
 
「おい、見~た~ぞ~」
 
「っ?! お、おはようございます、主任……何を見たんですか?」
 
 自販機の前で主任に声をかけられた。
 
「朝からお前が高級車から降りて来るところを、だ。あれ、キラくんの車だよな?」
 
「あははは……見られてましたか……先週末、本当に色々ありまして……健二さんと一緒にキラさんのマンションに泊めていただいたんです」
 
 実際には健二さんは夜帰ってしまったが、私がお風呂に入り寝る前まではずっといてくれて、朝も朝食とお弁当を作りに朝早くから来てくれたので、泊まったも同然だろう。
 
「あ、そうだった。健二さんから、主任にもお弁当預かってますよ」
 
 愛を込めたから、一人で食べてね♡っと言っていた気がするが、別に言わなくていいか。
 
「本当か?! 月曜日から嬉しいな! 唐揚げ入ってるかな?」
 
「入ってると思いますよ、朝から揚げてたので」
 
「やったぜ!」
 
 主任はそれ以上何も聞いてこなかった。単純でよかった。健二さんのお弁当、さまさまである。
 
 しかしその後───そのお弁当のせいで、とんでもないことになってしまう。
 
 
 
 
「吉良さんっ! 主任と付き合ってるって本当?!」
 
 違う部署の同期が突然そんな事聞いてきたのである。
 
「え? まさか、そんなわけないでしょ。やめてよ、どうして?」
 
「すんごい噂になってるよ! 吉良さんが主任にド派手な愛妻弁当渡してたって!」
 
「……」
 
 あれかっ……一体、何をどう、誰に目撃されたのだろうか。それによっては否定も肯定もしない方がいいかもしれない。
 
「あれは私も主任に渡してくれって人から預かったやつで……まぁ、主任に聞けばわかるよ。私たちが付き合ってないのは間違いないから、もしその話してる人いたらデマだって否定しておいてくれない?」
 
「え? 主任に聞いた人は、秘密って言われたって言ってたよ!」
 
「それ、絶対に面白がってるだけだから……とにかく、付き合ってない! 主任は永遠の“みんなの主任”ですっ、以上っ! はい、仕事仕事~」
 
 まったく……主任も悪ふざけが過ぎる。なぜハッキリと否定してくれなかったのだろう。面倒くさいな。
 
 そしてその間違った噂は、訂正されることなく、一週間の間にあっという間に広がってしまうのだった。
 
 
 
 
「ひよ子っ! お疲れ様、来ちゃった」
 
「きッキラさんっ! 何が“来ちゃった”ですかっ! こんな目立つところに車停めてっ───」
 
 その週の金曜日、ご迷惑をかけたお詫びとしてキラさんと出かけることになっていた。仕事が終わったら連絡する、と伝えておいたのに、彼は今、会社の前に堂々と現れた。
 
 私は慌てて車に乗り込み、すぐに出してもらう。
 
 ───……何が“来ちゃった”よ! 胸が苦しくなるから、可愛いセリフを言うのはやめて!
 
 私は心の中で叫ぶ。
 最近、キラさんはこんな風に可愛いセリフを連発してくるので、心臓がいくつあっても足りないのだ。
 
「ははは、ごめん」
 
「もうやめてくださいね、月曜日だって朝主任に見られて言われたんですから、それに今───っ……」
 
 今は、主任との噂がなかなか鎮火せず困っているというのに。
 
「さっき……“主任と吉良さん、今日は金曜日だしデートかなぁ? ”って、言ってる人達がいたけど……そんなわけないよな、俺とデートなのに」
 
 まさか、ここにまで広がってしまうとは……外でそんな話をするなんて、あんまりじゃないだろうか。
 
「まさかそれでわざわざ車を横付けして待ってたんですか? それに別にデートってわけじゃ……っ」
 
「俺はデートだと思いたいから、デートだろ」
 
「そうなんですか、初めて知りました」
 
 胸が苦しい……勘弁してください。
 
「休み明けにまた主任とのことでなんか言われたら、彼氏いるって言えよ。そうすれば主任との噂なんてすぐ消えるだろ。まぁ、さっきの俺らの姿見てた人たちが勝手に広めてくれるだろうけど」
 
「逆に問題になりますよ、今システムの件でやり取りしてるのに……サングラスつけててくれてまだよかったですけど、キラさんはただでさえ目立つんですから……」
 
 待って、もしかして私、今度は二股とかって言われちゃうんじゃ……主任のファンに刺されちゃう……
 
「心配すんなって、次の打合せで“いつも俺の彼女がお世話になってます”って堂々と笑顔振りまいてやるから」
 
「絶対にやめてください!」
 
 この人の事だ、普通にしてしまいそうで怖い。そしてその笑顔にときめく女性職員の様子が目に浮かぶ。
 
 
 
 そんなやり取りをしていたせいでまったく気付かなかったが、どうやら私達は今、高速道路を走っているようだ。
 
「ちょっと待ってください、この車、どこへ向かってるんですか?」
 
「いいところ」
 
 運転する彼の横顔を見ると、口元が笑っている。嫌な予感しかない。 
 
「今日中に帰れますよね?」
 
「そのつもりではいるが、別に明日は休みだから、どうなっても構わないだろ?」
 
 チラッとこちらに視線を向けられ、また胸が苦しくなる。やっぱり私、病気なのかもしれない……イケメン怖い。
 
 
 ──────
 
 
「……ここって」
 
「今日から三日間だけ、ナイトショーやるんだ。俺も仕事で携わったから、いい席のチケットもらえてさ。ひよ子、イルカ好きだったろ? 存分に心を癒されてくれ」
 
 イルカは……好きでも嫌いでもない。見れば可愛いとは思う程度だ。でも……
 
「はい……好き、です、イルカ」
 
 今、好きになった。
 でもさすがに、なぜキラさんの中で私がイルカが好きだという事になっているのか不思議になったので、聞いてみれば……
 
「子供のころ、イルカのTシャツ着てただろ? 今思えば、アレ、ラッセンの絵のプリントだったよな?」
 
「……」
 
 恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
 そのTシャツには覚えがある。なるほど、それでか……
 確かに、あの頃はイルカに夢を見ていた。絵の中のイルカがとても綺麗で自由で躍動感に溢れていたから。でもその後に小学校の遠足で行った水族館で見たイルカはいたって普通で、夢は崩れたのだった。
 
 ナイトショーまで少し時間があったので、キラさんは腹ごしらえだ、と言い、私の手を引いた。
 外に並ぶ露店で気になるものを色々と買ってくれ、二人でシェアして食べた。てっきり高級なレストランにでも連れていかれてしまうかも、と身構えていたが、意外と庶民的な腹ごしらえでホッとする。
 
 その後見たナイトショーは、ラッセンの絵画の世界に入り込んだように綺麗で感動するものだった。子供の頃に夢見たイルカ達を見れたような気がした。
 
「すっごく感動しました……この世にあんなにきれいなものが存在したんですね」
 
 あのショーのどこにキラさんが携わったのかは、まったく見当もつかないが、きっと私では理解できない難しい部分なのだろう。
 
「喜んでくれてよかった。ずっと口が開きっぱなしで、めちゃくちゃ可愛かった。あの顔が見れただけで、連れてきた自分を自分で褒めてやりたい」
 
 イルカの話かと思ったが、もしかして私の事だろうか。はたしてこの人は、ちゃんと自分が携わったショーを見たのかと心配になる……
 
 手をつなぎ、少し夜景を見ながら車まで戻ることにした私たち。
 金曜日の夜だからか、あちこちにカップルの姿が見受けられる。はたから見れば私たちもカップルに見えるのかもしれない。
 
「ひよ子、また誘ってもいいか? 俺、人混み嫌いなんだけど、ひよ子となら少し遠出して、今しかやってないイベント会場とかも行ってみたい」
 
「あ、丁度今、世界各国のやつとかやってますもんね。あの不思議なキャラクターの名前、なんでしたっけ」
 
 誘ってもいいか? の言葉に対して返事を返すのを忘れた。遠出だと言っているのに、すでに行く気満々みたいではないか。
 チラリとキラさんの顔を見上げると、こちらを見て嬉しそうに笑みを浮かべていた。
 
 ───……うっ……また胸がっ……いや、苦しくない。
 
 手をつないでいるせいか、不思議と安心する。
 
 
 この時、私はもう、観念するしかないと気付いた。ヒカリの言っていた事を認めるしかない。
  
 ───“はじめまして、初恋さん、よろしくね”……お手柔らかに……
 
  
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