キラくんの愛は、とどまることを知らない
009
金曜日───システムの入れ替えの件で、キラさんとの打ち合わせの日。
なんだか朝から無駄にそわそわして、何度も化粧室で鏡を見たり、自分の匂いを確かめたりしてしまった。
打合せの時間になり、キラさんの待つミーティングルームに入った私は驚いた。
眼鏡をかけたキラさんの隣には、私よりも年上の美人で仕事が出来そうな女性がいたのだ。
今までとは違う意味で胸が苦しくなる。
チクン、と数本の針が刺さったような……嫌な痛み。
名刺交換の際に見えた爪は、綺麗な長さで整えられ、素敵なネイルが施されていた。まつげはくるんっと上を向き、その長さとボリュームは雑誌で見るモデルさんのようだ。髪もお洒落にまとめられていて、心なしかいい香りもする。
白森さんも相馬さんもそうだが、キラさんのまわりには、どうしてこんなにもお洒落で素敵な人が沢山いるのだろう。でも、それもそのはず、キラさん自身がお洒落で素敵な男性なのだから、当然なのかもしれない。
なんだか心の中が、もやもやする。
そんなことを考えていると、突然……
『大丈夫です、吉良さんは天然の透明感のある素材の良さで十分可愛らしいですから』
キラさんが笑顔で言った。
隣には自分の子会社の社員である辺見さんがいて、目の前には私の上司の主任がいるのに。
恥ずかしげもなく、堂々と。
それを皮切りに、主任や辺見さんまで私に気を使うような言葉をかけてくれた。
恥ずかしくて情けなくて申し訳なくて、思わずキラさんを睨む。
その後、何とか気持ちを切り替えて打合せを終えたが、見送りの際には、また先ほど感じたもやもやがぶり返してきた。
キラさんと辺見さん、二人並んで歩く姿は主任の言っていたとおり、お似合いの美男美女だ。でもよく見れば、辺見さんはキラさんの少し後ろを歩いている。
辺見さんは自分の立場をよくわかっている、気遣いの出来る素敵な女性なのだろう。
では私は? 本当に、求められるがまま、キラさんの隣にいていいのだろうか。
そんなネガティブな感情が湧いてきて、どんどん自分の心を真っ黒にしていく。
「いやぁ~、いい男の隣にはいい女、か。羨ましいねぇ~」
主任が私の隣で呟く。
「……主任も辺見さんみたいな女性が好みなんですか? 次はプライベートの連絡先が聞けるといいですね」
「ばーか、俺なんかが、あんなお洒落な女性に相手にされる訳ないだろ? 嫌味かぁ? 一緒に並んで歩きたくない! っとか言われそうだよ」
「……」
主任の言葉は、まるで自分で自分に言い聞かせているように聞こえた。
でも……私は主任に言いたい。
「主任が辺見さんの隣にいてもお似合いだと思いますよ? 主任も私服はお洒落じゃないですか、背も高いし」
「なら、お前は俺と並んで歩けるのか?」
「今も並んでますけど」
「カップルだと思われるように手をつないでデート出来るのかって意味だよ」
「主任が主任じゃなかったら、もちろんできますよ? きっと、自慢の彼氏になったんじゃないでしょうか」
「っ───……」
そんな会話をしていると、自動ドアの向こうでキラさんと辺見さんが別れ、それぞれ違う方へ歩いて行くのが見えた。どうやら、一緒に会社へ戻るわけではないらしい。
それだけのことで、少し嬉しくなってしまう。
「主任っ! 私、健二さんの事でキラさんに伝え忘れたことがありました! 先に戻っててください!」
何故かそんなくだらない嘘をついて、キラさんを追いかけていた。
「ん? そんなのメールで───って……行っちまったよ……はぁ──……“主任が主任じゃなかったら”──か……」
主任のそんな声は聞こえていない。
『当たり前だろ、一分一秒でも早くひよ子に会えるんだから、俺はそうしたい』
キラさんのそのひと言で、先ほどまでのもやもやと真っ黒になった私の心を浄化してしまったような気がする。
あと数時間後には、またキラさんに会える、そう思うと仕事も無駄に頑張れた。
終業のチャイムが鳴ると、私はすぐにポーチだけ持って化粧室へ行き軽くメイクを直した。
ものの数分でデスクへ戻ったつもりだったが、さすがは金曜日。すでにみんな帰ったのか、はたまた席を立っているだけか、フロアには誰もいなかった。
と、思いきや、主任がまだいた。
「あれ? 吉良、お前まだいたのか──あ、今日こそ飯でも行くか?」
「すみません、今日はこれから健二さんのお店に行く予定で……」
しかしオープンまでは二時間以上はある。キラさんもそれはわかっているはずなのに、迎えに来てくれると言ったのだ。
「そっそうか……あの店では俺、なんでか知らないけどモテちゃうからな……」
ジュリアさんや健二さんの事を言っているのだろう。
「すみません主任、急ぐので……お疲れさまでした」
そそくさとデスクからカバンを取り、主任に挨拶して帰ろうとしたのだが……
「──っ! 吉良っ!」
「はい?」
まだ何か用だろうか?
「……なんでもない、健二さんによろしく伝えてくれ。お疲れさん、またな」
「はい、お疲れ様でした」
なんだ、健二さんへのことづけか。私は足早にその場を離れた。
「ひよ子っ!」
「キラさんっすみません、お待たせしてしまって」
エントランスを出ると、キラさんがいた。
眩しいくらいにカッコいい。数時間前に会ったばかりだというのに、すでに会えて嬉しい。
「わざわざ着替えて来たんですか?」
「ああ、流石に昼間と同じ格好で待つのは目立つかと思って」
確かに、システムの業者がお洒落イケメンであるという噂はすでに社内で広まっており、女性社員は注目してるようなので、キラさんの判断は正しいかもしれない。
「眼鏡は外したんですね」
「ひよ子は眼鏡の俺の方が好きか?」
「っど、どちらでも素敵だと思います」
眼鏡姿の時は口調もすべてお仕事モードといった感じなので、正直、違う人みたいでドキドキしてしまう事は秘密にしておこう。
「そうか、眼鏡もありか」
よくわからないが、キラさんがニヤニヤしている。
「健二の店は20時からだから、それまでどっかに飯でも食いに行くか? それとも、健二の飯がいいなら連絡して早めに開けさせるけど」
早めに開けさせて私の食事を作ってもらうなど、していいわけがない。
「私、キラさんに一緒に行ってもらいたい所があるんです!」
「よし、行こう」
食い気味に即答された。
「……あ、いいんですか? どこかも聞かずに……」
「ひよ子が行きたいところなら、俺も行きたいところだからいいんだ。ほら、車少し向こうだから、行こう」
移動する際に、当たり前のように差し出される手。私は自分の顔が緩んでしまうのを抑えられなかった。
自分の職場の前だというのに、私はキラさんのその手をとり、一緒に歩き出す。