キラくんの愛は、とどまることを知らない
「……ひよ子が来たかった所って……墓地か?」
「はい、すみません。なんか突然」
私は父が眠る公営の共同墓地へキラさんを案内した。
先日、美智子おばさんと四十九日を済ませたら後から、ずっと気になっていた事がある。
それは、キラさんが父の借金をすべてきれいに整理した上で立て替えてくれたというのに、私は故人にそれを伝えて、きちんとキラさんにお礼を言っただろうか。
あの時は、勝手に何してくれたんだ、と思っていた部分が大きくて、憎まれ口ばかりで、感謝の気持ちすら持っていなかったかもしれない。
でも今は、色んな方面で心からキラさんに感謝している。
父の墓石の前に着くと、納骨の時の花が二週間以上経ち、枯れていた。もう少ししたら管理人さんによって撤去してもらえたのだろう。
私は墓地の管理人さんから掃除用具を借りて、暗くなる前に軽く墓石のまわりをきれいにした。
そして───……
「お父さん、お墓の暮しはどう? 意外と快適? 今日はね、私とお父さんの恩人に来てもらったよ……稀羅さんって言ってね、お父さんの借金を全部立て替えてくれたんだよ。そうじゃなきゃ私、どうなってたかわからない。だから、きちんとお父さんからもお礼を言ってください」
私は父の墓石を前に手を合わせ、独り言のように呟く。すると、隣で聞いていたキラさんも、手を合わせてくれた。
「お義父さん、はじめまして……ではないですね。覚えてますか? 俺に“ひよ子はやらんっ”って酒瓶振り回したの」
「……え?」
キラさんの言葉に耳を疑った。そんな事は知らない。父からも何も聞いていない。
私の知らない間に、キラさんは我が家へ来ていたのだろうか……詳しく話を聞きたいが、今は二人の会話の邪魔はしたくない。黙って聞かせてもらうことにした。
「お義父さんが酔っ払ってひよ子に暴力振るうようなクソ親父なら、迷わずにすぐさまひよ子を連れ行ったんだけどな……お義父さん、めちゃめちゃひよ子の事大事に思ってんだもん」
「……っ」
キラさんの言うとおりだ。
私は父に暴力をふるわれた記憶は一度もない。
怒鳴り声を聞いた記憶はあるが、それは母がいた頃で、母に向けられていたものだ。
「あんなに大事にしてた娘に借金だけ残して逝くなんてねぇ───俺が貰っちゃいますよ? ……フラれてますけどね」
「……」
「お義父さん、俺がひよ子を大事に想う気持ちはお義父さんにも負けませんよ。伸びしろもあります。今はまだ片思いですが、必ずひよ子を貴方から奪ってやりますからね。その時は祝い酒として、お義父さんが口にしたことがないような美味い酒飲ましてやりますよ」
「……」
その言葉に胸が締め付けられるようだった。
「───……って、ひよ子っ?!」
涙が出てくる。
キラさんの気持ちが嬉しくて、自分なんかがどうしてこんな素敵な人に想ってもらえるのか、不思議でならない。
父は私を可愛がってくれていた。
酒とギャンブルはやめられなかったが、私が作った食事はきちんと食べてくれていたし、酒臭いままでも、仕事にはきちんと行っていた。
それに、私が幼い頃は家を空けて外で飲むことはほとんどなく、酒は家で飲むだけ。帰りが遅い日は、パチンコに行っていた日くらいだ。
とはいえ、一切家事なんてせず、料理が出来るわけでもない父は、母が出て行ってからは私の食事にまでは気が回らなかったのだろう。
私が“お父さんお腹空いた”このひと言さえ言っていたら、違ったのかもしれない。
それを……キラさんに言われるまで気づけなかったなんて、情けない。でもその半面……嬉しい。
「……お父さん、どうしよう……私……キラさんが好き……」
「……え?」
思わず胸から溢れた想いが言葉になり、私は父の前でキラさんに告白してしまった。墓地で……
「……っ! お、お義父さん! き、聞きましたね?! 貴方が証人ですよ、ひよ子は俺が好きだそうです! もう片思いじゃないですね! そう、好き───……」
何故か墓石に向かって騒ぎ出したかと思えば、キラさんは急に黙ってしまった。
陽が長い時期だとはいえ、辺りはすっかり暗くなりはじめ、無言の時間は不気味にすら感じられる。
「き、キラさんっ真っ暗になる前に帰りましょうか!」
「っあ、ああ」
私達は父に別れを告げて、墓地をでた。
「さっきは、すみませんでした。キラさんが父にあんな事を言ってくれたのが嬉しくて、つい気持ちが抑えられなくて……」
キラさんはあれからずっと何かを考えている様子で上の空だ。あんな事、言わなきゃよかった……
なんともいたたまれない車内の空気に、先ほどとは真逆の意味でまた涙が出そうだった。
すると、車は突然墓地の近くの展望台の駐車場で停まった。外はすでに暗くなっており、街灯もつき始めている。
キラさんは無言のまま車を降り、降りろと言わんばかりに私が乗る助手席側のドアを開けた。
そのまま展望台へと手を引かれ、私の視界にまだ薄明るい夜景が広がる。
「ひよ子……」
ようやく聞けた自分のなを呼ぶ声に、安心する半面、何を言われるのかと不安が押し寄せてくる。
「ひよ子……俺をひよ子の恋人にしてほしい」
キラさんの真剣な眼が私の目をジッと覗き込んだ。
「……え、はいっもちろんです。お願いします」
ついさっき、好き告白したのは私だ。恋人になる事を断るわけがないというのに、何故こんなにも……
「良かったぁ……」
本気で安堵しているように見える。
「あのな、俺の初恋は現在進行形で、ひよ子ただ一人なんだ。この歳まで、ひよ子以外の女と付き合ったこともないければ、デートをしたこともないし、触れたこともない。白森や健二からはずっと、初恋を拗らせている、と言われてきた。だから、最初の時みたいにひよ子を“俺のモノだ”なんて金で脅すようなことをしてしまって……悪かった、反省してる」
「あ……」
あの時は、キラさんを忘れていた私も悪かったのだと思う。自分が20年間忘れずにいたのに、相手に忘れられていたら誰だって悲しいし、怒りの感情が芽生えても仕方ない。
「ひよ子が出て行って、健二に言われたんだ。ニワトリはニワトリ、タマゴはタマゴ、ひよ子はひよ子だって……」
……なんだろう、感動する場面なのかもしれないが、そのラインナップに自分が入れられている事に少し違和感を感じてしまう。名前のせいだろうか、そうであって欲しい。
「あの時はひよ子に再会できてうれしくてちょっと暴走したけど、今はもう大丈夫だ、興奮を抑える術を習得した。これからはきちんと段階を踏むし、ひよ子を怖がらせたりしない。だから、怯えなくていい」
その言葉で、ようやく彼の言おうとしていることが理解できた。
恋人からゆっくり始めよう、と言ってくれているのだろう。
「ありがとうございます……私なんてこの歳で、初恋が始まったんです。キラさんに」
「っ───ぅぐっ……」
キラさんは突然口元を抑え悶えだした。興奮を抑える術とは、もしかしてこのことなのだろうか。でも、今の発言のどこに興奮する部分があったのだろうか……
「ひ、ひよ子……恋人はどこまで許されるんだ?」
「えっ?!」
何を突然……私も初心者だと伝えたばかりだというのに。
「白森は恋人以外にも色々しているんだが、恋人はもっと色々していいのか?」
百戦錬磨の白森さんと、ド素人の私たち二人を同じ土俵に立てないで頂きたい。
「ひとまずは、キラさんのしたい事をしてみてください、嫌だとか怖いとか思ったらきちんとお伝えします」
今すぐ応えるとすれば、これしかない。彼が今、具体的に何について言っているのか、正直わからない。
「ぎゅっとしてもいいか?」
「はい」
キラさんは私の身体をそっと抱き寄せ、私が自分の手を彼の背中に回すと、ぎゅっっと力強く抱きしめ直された。
「……ひよ子、小さいな……どうしてこんなにいい匂いがするんだ?」
「キラさんは大きくて、いい匂いがします」
頬を彼の胸に預け、温もりに甘えてみる。こんな風に誰かに正面から抱き締められるのはいつぶりだろう。はたして、こんなにも安心できるものだっただろうか。
お互いが離れがたく、何分もそうしていたが流石にしばらくして、どちらからともなく笑いが起きた。
「誰もいないからって、何してるんでしょうね、私たち。こんな外で」
「誰もないから出来るんだろ? ほら、夜景も綺麗に見えてきた」
そう言われ、視線を移せば……煌めくネオンの光が街を覆っていた。
「本当ですね……夜の墓地なんて来ないから気付けなかったです……穴場を見つけましたね」
なんの穴場だというのか、まるで恋人同士の秘密逢瀬の場所みたいに聞こえてしまっていたら恥ずかしい。と、目を泳がせていれば、キラさんは私の頬を両手で挟み、ジッと私を見つめた。
火傷してしまいそうなほどに熱いその視線から、私は目をそらすことができない。
そして、彼の親指が私の唇をなぞった───……