キラくんの愛は、とどまることを知らない

 今、私がいるのは広々とした室内に置かれた、大きなベッドの上だ。落ち着いた濃いめのアースカラーでまとめられた寝具、ベッドの正面には何やら天井からスクリーンが出しっぱなしでぶら下がっている。
 初めての場所に私がキョロキョロしていると、キラくんは言った。

「俺が風呂から出たら、ひよ子はリビングで寝てたんだ。だから、その……運んだんだ……恋人になったから、いいかと思って───っ何も! 何もしてないからな! ニワトリとタマゴに誓って! 何も!」

 それは見ればわかる。自分の身体だって昨夜から何も変わっていない事もわかる。

「……ふふ、大丈夫です。ありがとうございます、運んでくださって」

 むしろ、初めてキラくんの部屋で、キラくんと一緒のベッドで寝たのに、全く覚えていないのは少し残念なくらいだ。

「ぅっ……ひよ子は寝起きもかわいい……───そうだ。朝、健二が車届けてくれたついでに朝めし作ってったぞ」

「ぇ……?」

 その言葉に、私は慌てて時計を確認する。
 すでに九時をまわっているではないか。

「私っ───っこんな時間まで寝てっ?! すみませんっ人のベッドでっ」

 なんて図々しい女だろうか。

「寂しい事言うなよ、人のベッドじゃない。俺達二人(・・・・)のベッドだ……そもそも、そのつもりでこんなシングルの2.5倍のサイズを入れたんだぞ……」

 キラくんはブツブツと呟いたが、しっかりと聞こえた。シングルの2.5倍? それって、キングサイズより大きいという事だろうか……? 言われてみれば、枕も長いし、いくつもある。

「お洗濯が大変そうですね、カバーとかシーツとか……」

「健二にも文句を言われた。だから、クリーニングに出せるように換えはいっぱい用意してあるから大丈夫だ。特注だけど……」

 なるほど……確かに、言われてみれば、このサイズでは寝具など、既製品はない。
 きっと、キラくんは自分でベッドメイキングをしたりした事はないのだろう。整える大変さがわからないからこんなサイズのベッドを買えるんだ。

「キラくん、これからは何か買うとき、私も連れて行ってください」

 この人に一般常識を教えてあげないと、そのうちに私が困る事になるかもしれない。

「え!? もちろん、もちろんっ! むしろ、この家の物は全部ひよ子が選んだっていいんだからな! なんなら買い替えたって……あ、いや……壊れるまでちゃんと使ってやるか」

 私の言葉がそんなに意外だったのか、キラくんの言葉と表情には喜びと驚きとが混じっていた。
 何よりも、“壊れるまで使ってやるか”という言葉が、私に合わせて言ってくれているのだとわかり、嬉しくなった。

「そうですね、どうしてもまだ使えるのに新しいデザインにしたくなったら、次に誰かが安く買えるようにリサイクルショップに売ったりしたらいいですよ」

「なるほど……なら、ひよ子の部屋のベッドはもういらないからリサイクルショップに売ろう。ひよ子がひと月使っただけだしな!」

「……あ、あのベッドはいらない物じゃないから、売らなくていいです……」

「え……」






 その後、健二さんが用意してくれた食事で遅めの朝食にした。

「キラくん……キラくんは私の事を大体把握していたみたいですが、考えてみたら、私はキラくんについて知らない事が多いみたいです」

 食べ終えた食器を食洗機に入れながら、ニワトリ達と遊ぶキラくんに言った。

「何でも聞いてくれ、聞かれて困る事は……たぶんない」

 ───……たぶん、なんですか……

 私はキラくんに色々聞いた。
 誕生日から実家の場所、家族構成から出身校等など……

「お兄さんはお父様の秘書さんなんですか?」

「ああ、兄貴は親の敷いたレールから外れることなく、志し高く頑張ってるみたいだ。ゆくゆくは周りから担ぎ上げられて立候補させられるんだろうな」

 ならキラくんはなぜ、敷かれたレールから脱線したのか、とは聞かなかった。間違いなく私との馬鹿げた約束のせいだろうから。さすがにお金持ちでも、国家公務員が“億万長者”を名乗るわけにはいかない。

「ちなみに、兄貴は健二の元彼だ。高校の時から付き合ってたから、続いてたら20年近くになったんじゃないかな」

「……ぇえ゛?!」

 今の事実が一番驚いたかもしれない。

「まぁ、兄貴も健二もお互いにまだ未練はあるだろうけどな……兄貴の仕事を理由に無理矢理別れたようなもんだから」

「……やっぱり秘書さんでもそういうのは気を使われるんですね」

 なんだか、切ない。次に健二さんに会ったらどんな表情をしたらいいか分からない。

「まぁ、一応はそうみたいだな。将来を見据えてもあるだろうけど」

「私、そんな事情も知らずに浮かれてキラくんとの事報告なんかして……」

「ひよ子が気にする必要はない。アイツら、俺をだしにして、たまにこのマンションの下の階の部屋で会ってんだから」

「え?! 別れた……の……に……?」

「まぁ、そこは大人の関係ってやつだろ」

 お兄さんは弟に会いに来ているように装い、健二さんはまぁ、出入りの頻度からすれば住人に見えなくもない……と思ったが違った。
 なんと健二さんも、本当にこのマンションの住人だった。


「……知らない事だらけでしたね」

「だから健二は俺が高校の時からの腐れ縁。まぁ、兄とか姉? みたいなもんだな。だから白森とか相馬の事も知ってるんだ。俺の世話だって、アイツが勝手にしてるんだ。兄貴にしてやれない事を俺にしてるとか言って」

 “ハウスキーパーのおっさん”だなんて言っていたくせに、全然違うじゃないか。

「え、まさかタダ働きですか?!」

「いや、さすがにそれはアレだから家賃は無しにしてやってる」

「……家賃を無し? ……健二さんはこのマンションに住まれてるんですよね?」

「ああ、このマンションのオーナーは俺だ」

「……」

 何でもない事のようにサラッと口にしているが、このエリアの家賃相場を考えても毎月の家賃収入だけでとんでもない額ではないだろうか……億万長者……凄い……

「それもあって、健二はまた好きな店をやれてるんだ。だから、ひよ子のために早く店を開けるくらいのわがままは当然聞いてくれるからな」

「キラくんのわがままならまだしも、私のわがままなんて……」

「俺の権利(モノ)はひよ子の権利(モノ)だ。そもそもが全部ひよ子のために築き上げた財産(モノ)だからな」

 “スパダリ”とは彼の事をいうのだろうか。

 と、ここで、食洗機のスイッチなどの使い方が分からず困っていると、それに気付いたキラくんがニワトリを抱いてキッチンに来てくれた。
 ひと月も住んでいたのに、使っていなかった私……手洗いだけしており、覚えようとしなかったのだ。

「洗剤はここな、スイッチはここを押してから最後にここをピッとするだけ……簡単だろ?」

 彼が私に向ける優しい笑みに、胸がキュンとする。

「また……たまに泊まりに来てもいいですか?」

「たまになのか? 俺達的には毎日でも足りないくらいなんだが」

 俺()とは、ニワトリとタマゴの事らしい。キラくんに撫でられながら、ニワトリはゴロゴロと喉を鳴らしている。

「ふふっ、毎日はさすがに駄目ですよ。ヒカリに借りたマンションがありますから」

「……ヒカリちゃんのマンションなぁ───」

 正直に言えば、私にとって今は初めての一人暮らしだ。しばらくは自堕落な生活を楽しみたい。

「そうだ! その部屋に俺より先に主任を入れたんだろ? 俺も行きたい! 泊まりたい!」

「狭いですよ? 何もかも……」

 私には贅沢な部屋だが、ここに比べたら狭い。
 でも……

「なら、来週末は私の部屋にご招待します。ご飯も……私、作ってもいいですか?」

 返事は聞かずとも、彼の嬉しそうな表情を見ればすぐにわかった。


 
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