キラくんの愛は、とどまることを知らない

002

  
 トントントン、というリズミカルな音と、ほんのり香ってくるスパイシーな香りに目が覚めた。
 スマホを見れば、すでに17時をまわっている。

「……“ハウスキーパーのおっさん”が料理してるのかな……?」

 恐る恐る部屋を出てキッチンの方へ行ってみる。それにしても、広い家だな……


「……あら? あらあらあらあら! 目が覚めた?」

 “ハウスキーパーのおっさん”はまさかの“オネェさん”だった。見た目は、おっさんに間違いないんだけど……

「こんばんは」

「こんばんは! 私の事は聞いてるわよね? 健二(けんじ)よ、ここの家政夫みたいなものなの。よろしくね」

 意外と男らしい名前の健二さんは、火を止め、手を洗い、わざわざキッチンから出てきてくれた。

「あ……私は……」

 私は、なんだ? 何故ここにいるんだ? まぁ、名前だけでいいか。

「“ひよ子ちゃん”でしょ? お部屋のドアが開いてたから寝てたのが見えちゃって、声かけなかったの。ごめんね」

「かまいません、私こそいらっしゃると聞いていたのに寝過ごしてしまいました、すみません」

 健二さんは、いいのいいの、と豪快に笑った。

「ニワトリとタマゴは紹介してもらった? これからご飯をあげるんだけど、良かったら覚えてくれるかしら。稀羅くんに任せると、あの子たちはデブから脱却出来ないのよ」

「っふふ……そうなんですね」

 一体、どれほど与えているのだろうか。

「あら、可愛い! 笑った顔は幼いのね!」

 よく言われます。

 ───その後、健二さんは料理に戻っても、手を動かしながらずっと私に話しかけ続けてくれた。
 楽しい人だ。ラジオを聴いてるみたいで、なんか癒される。

「さぁ、できたわよぉ! 健二くん特製、シーフードパエリアに鯛のカルパッチョ! この鯛は私が三日前に釣ってきたのっ寝かせたから旨味がでてるわよ」

 釣ってきた?!

「釣りまでなさるんですね……楽しそう」

「あら、今度一緒に行く? 朝早いけど」

 はたして健二さんとは、仲良くしてもいいのだろうか……? 凄くいい人そうだが、この人も素性はわからない……

「あははっ! ごめんねっ私ったら! 距離感おかしいってよく言われるの! 気にしないでね」

 表情に出ていただろうか。すぐに応えられなかったせいで気を使わせてしまったかもしれない。

「っ仕事があるので平日は難しいですが、休日に機会があれば是非っ」

「あら本当? 休日なら稀羅くんにクルーザー出してもらいましょうよ! ね、決まりっ楽しみねぇ」

「え、き、吉良さんも一緒ですか?」

 忙しいと言っていた気がするが……それに、私もいつまでここにいるかわからない。

「当たり前じゃないっ! ひよ子ちゃんと私が二人で出かけたなんて日には、稀羅くんがいじけちゃうもの! うふふっ───あらやだ私ったら、喋ってたら食べられないわよね、稀羅くんの分は取り分けて冷蔵庫に入れてあるから、勝手に食べると思うわ。ではまたねっ」

「あ、はいっ頂きます! ありがとうございました!」

 健二さんは嵐のように去っていった。


 静かになった広いダイニング……豪華な食事を前に、私は一旦考える事を止めて、料理を楽しむ事にした。

「……美味しい───っ」

 健二さんの料理は優しい味がした。







 それから三時間ほどした頃、リビングでニワトリと遊んでいると、セキュリティが解錠された音がし、玄関の方から吉良さんが現れた。

「……お、おかえりなさい。食事、先に頂きました」

「……っおう、今日はなんだ?」

「シーフードパエリアと鯛のカルパッチョです」

「ふーん、俺、先に風呂入るわ。煙草臭えから」

「あ……」

 私は出かける前に彼が言った言葉を思い出す。

 “背中、流せよな”

「ほら、行くぞ! 背中流してくれんだろ?」

 ニヤリと笑った彼は、私の手を引きバスルームへと連れて行った。
 どうせ冗談だろうと思っていたのだが、どうやらこの男は有言実行らしい。

 脱衣場でスーツを脱ぎ捨てた男は私の前で平気で裸になった。スーツ姿は細身に見えたが、なかなか鍛え上げられた身体をしている。入れ墨などはない。最近の若い人は入れないのだろうか。
 ……って、私は何をしっかり見ているのか。

「……前くらい隠してくれませんか……」

 と、私が言って、やっと腰にタオルを巻いてくれた。

「お前も脱げよ」

「必要ありません」

「服を着たまま風呂には入らないだろ?」

「私は後で入ります、今は貴方の背中を流すだけですから」

 大体、背中を流せと言われても、何をしたらいいのかわからない。要は、洗って差し上げればいいのだろうとは思うが……

「駄目だ、濡れてびしょびしょになるのが目に見えてる。恥ずかしいならタオルを巻いてていいから入ってこい」

 そう言って、彼は先に行ってしまった。

 大声で悪態をつきたかったが、グッと我慢し、仕方なく服を脱ぎ大きいタオルをきつく身体に巻き付けて、ドアを開け中に入る。

「……広っ……」

 ここはスパかな?

 どうりで男のハウスキーパーが必要なわけだ。この浴室の掃除だけでも半日かかりそうである。

 小さな浴槽と広い浴槽となんだかサウナらしいドームまである。さらに奥の方にはガラス張りの扉があり、その向こうには星空が見えるのだが、気の所為だろうか。
 しかし、気の所為などではなく星空は正しく星空で、男はすでにガラスの向こうの半露天の浴槽に浸かっている。

「あの……背中流せないんで、上がってもらえませんか?」

「……ああ、後でな───今は動きたくない……」

 は? なら私はここに立っていろと?! なんてわがままなんだ。これだから金持ちは……

「では、動く気になったら呼んで下さい。私、出てますから」

 それだけ伝え、中へ戻ろうとしたのだが───……

「(ザバッ)───おい、待っ!」

「っ?!」

(バシャーンッ!)

 ……漫画じゃあるまいし、どうしてこうなる。


「……動きたくないって言ったくせに……(ッチ)」

 引き留めようとしたのか、急に手をつかまれた私は、そのまま足を滑らせ湯船に落ちた……が、男に支えられ、かろうじて怪我はなく無事だった。

 ただし、びしょびしょだが。

「まぁ、手間が省けたな、このままお前も一緒に入れ」

 
< 4 / 51 >

この作品をシェア

pagetop