キラくんの愛は、とどまることを知らない
 
「ほら、こい」
 
 吉良(きら)さんは私を、背後から抱き込むようにしてホールドした。まるで恋人同士かのような密着度合いに、さすがに背すじがピンとなる。
 
「なんだよ、緊張してんのか? 風呂なんだから、もっとリラックスしろよ───ほら、俺に身体預けていいぞ」

 頭の後ろの、それもかなり近い位置から聞こえてくる男性の低い声に、心拍数が上がっていく。

「あ、あのっ! 吉良さんっ? ───わ、私は、どうしてここに連れてこられたんでしょうか! 立て替えて下さった父の借金なら、夏と冬のボーナスを全て合わせればで15年くらいで返済できると思うんです!」

 だから、デリヘルみたいな扱いはごめんだ。
 そもそも、そういうのをお求めならば、私では役不足もいいとこだと思う。

「金なら返さなくていい。()がお前の借金を払うのは当然だからな」

「……え? どうしてですか?」

 当然、とは一体……この人は私の、私の家族の何なのだろうか……私は何かを忘れているのかもしれない。

「っ……もしかして、吉良さんって……」

「───っ思い出したか?!」

 後ろから私の方を覗き込んで嬉しそうに目を輝かせる吉良さんに、私は一つの仮説を伝える。

「私の生き別れた兄……とかですか?」

 実は私には兄がいたが、何らかの大人の事情があり、いない事になっていた、とか……

「……」

 吉良さんは一瞬で表情を変え、その顔は無言で背後に戻っていった。

「ハズレでしたか?」

「ああ、大ハズレだ」

 だが、先ほどの“思い出したか”という彼のセリフからして、私達は以前にも会った事があるのだろう。

「吉良さんはいくつですか?」

「26」

 私よりも一つ上なだけか……わからないな……

「下のお名前は……」

稀羅(キラ)

「え、吉良(きら)キラさん?」

(バシャッ!)

「ぅっぷ……」

 変な名前だと思ったことがバレたのだろうか。顔にお湯をかけられてしまった。

「どうしてそうなる! お前は、苗字が吉良(きら)なんだろうが、俺は名前が稀羅(キラ)なんだ! 先入観で物事を判断するな」

「……キラさんは、名前、だったんですね……失礼しました、おっしゃるとおりで……」

 どんな字を書くのだろうか……そうか、そういうパターンもあるのか……でも、かなり珍しい名前なのではないだろうか。

「それなら、苗字はなんですか?」

「……黒霞(くろかすみ)だ」

「くろかすみ きら……くろかすみ……きら……」

 駄目だ……大学、高校、中学、小学まで遡ってみても、そんな珍しい氏名の人は記憶にない。
 でも待てよ……キラ……キラ、キラくん……?

「(小声)……キラくん」

「っ!? ───思い出したか?!」

「キラくんって子がいた気がします……母の実家の近くの公園で、一時期だけよく会ってた男の子……たしかキラくんって……呼んでた記憶が……」

 でも確かあれは母が妹の出産で里帰りをしていた時だ……私は4、5歳くらいだったはず。

「20年も前なんで、さすがにうる覚えですが」

「その男の子との事で、他に何か覚えてないか?」

「え、その男の子がくろかすみさんなんですか?」

稀羅(キラ)でいい」

 彼は私の質問には答えず、私に記憶を掘り起こさせようとしている。

「他に? ……他……」

 湯船のお湯は少し熱いくらいだが、半露天だからか夜風が心地いい。私は都会の星空を眺めだから当時の事を思い出そうとした。

 あの頃はたしか、すでに父の酒とギャンブルが始まっていて……お金が無くて……でも母の実家のご飯は美味しくて……
 公園には昼過ぎになると附属幼稚園の制服を着た男の子が何人か来ていて……

 その中に……キラくんがいた、気がする。
 毎回向こうから私に上から目線で話しかけてきてて……

『お前、見ない顔だな』
 ───……この町には住んでないもん。

『ひよ子って、変な名前だな』
 ───……保育園では可愛いって言われるよ。

『きら? 僕の名前もキラだ』
 ───……キラくん? ひよ子と結婚ちたら、きらキラくんになるね!

『───ばかだな、僕と結婚したらひよ子が僕のおうちの名前になるんだぞ』
 ───……そうなんだ。

『しょうがないな、ひよ子は変な名前だし、ばかだから、特別に僕のお嫁さんにしてやるよ』
 ───……え、いい。ひよ子、キラくんのお嫁さんにはならない。

『変な奴だな、幼稚園の女の子はみんな僕のお嫁さんにしてって頼んでくるのに』
 ───……ひよ子は幼稚園行ってないからわからないのかも。

『なら、ひよ子は誰のお嫁さんになりたいんだ?』
 ───……ひよ子は───





「……思い出しました」

 思い出した。何故思い出せたかわからないが、不思議と今後ろにいるキラさんが、あの時のキラくんに重なる。

「私、キラくんに“誰のお嫁さんになりたいんだ”って聞かれて……」

「「“ひよ子は億万長者のお嫁さんになるの”」」

 私のその言葉は、自分の声だけではなく、二重に聞こえてきた。

「やっと思い出したか」

「……はい、そしたらキラくんは───」

「「“なら、僕が億万長者になれば、ひよ子は僕のお嫁さんになりたいか”」」

 ……そう、キラくんに聞かれたので、私は……

「“うん! ひよ子、キラくんのお嫁さんになる”って……言いました……」

 その後キラくんは満足そうな顔をして、

『約束だからな、僕が億万長者になってひよ子を迎えに行くから、今からひよ子は僕のモノだからな』

 ……と、生意気な事を言っていた。
 億万長者という言葉に気を良くした私は、“うん! 約束ねっ”と……指切りをしたのだ……

 ───……ま、まさか?

 恐る恐る背後にいるキラさんの方を振り返ると、目が合う。

 彼は大変満足そうな顔をして、私を見ていた。
 まるで、あの日のキラくんのように……

 
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