キラくんの愛は、とどまることを知らない
side キラ
……ひよ子が切れた。
駄目だとは思ったが、心配でしょうがなかった俺は、ひよ子のスマホを通して会話を聞かせてもらっていた。
口ではひよ子に謝りたいと言っていたが、その心は夫の会社への訴えをどうにか取り下げてもらいたいという狙いが見え見えだ。
あの、妹なんだかよくわからない女子大生も、いちいち腹が立つ。
タイミングを見て終わらせに行くか、と思った矢先……ひよ子が切れた。
ひよ子が親父さんの分だと言って、真剣に店先で厳選して選んだグラスが、無残にも砕け散っている……俺はそれがすごく、切なかった。
まるでひよ子の心の中を表現しているかのようだ。
流石にアレは見過ごせない。破片でひよ子が怪我したら大変だ。
そろそろ行っても問題ないだろう……俺は車ごとひよ子の所に駆け付けた。
「ひよ子っ……危ないから触るな」
涙を流しながら、割れたガラスの破片を拾い集めるひよ子。
俺は彼女の手を掴み、やめさせ、その手から破片を受け取る。
「あ! 彼氏! やっと出てきたぁ! やっぱカッコいい~」
この女子大生は本当に空気が読めないようだな。政宗のような代わりに会話をする人間がいなので、俺は女子大生を無視した。
そして、急をようする案件のフリをして、ひよ子を離脱させることにする。
「ひよ子、母さんがひよ子に浴衣を仕立てたから、今夜の花火大会はみんなで見ようってさ……───と、いう事なので、もう失礼してかまいませんか?」
俺は母親の返事を待たずに無気力放心状態のひよ子を抱き上げ、涼しい車の中に乗せた。
「え、何それ! うらやまっ! ママっ私も新しい浴衣買って! ……待った! 大臣と花火って事? つぐみも行きたい!」
なんか聞こえたが、気のせいだろう。
そのまま車の荷台から箒とちり取りを取り出し、ササっとガラスの破片を処理する。この車でよかった。アクティビティ用だからこそ、こんなお掃除アイテムが積んであったのだ。
「あ……あのっ、訴訟の件ですが───そちらの会社の方々のお怒りはごもっともです。ですが、なんとか今回だけは……」
俺が何をしているかも考えずに、母親はチャンスだと思ったのか縋ってくる。
「その件に関しては、すべて弁護士に任せてあります。ですが、おかしいですね。従業員の事を思うのなら、あなたの夫が代表をおりて、持ち株のすべてを手放し、今後一切会社に関わらなければ、交渉の余地を与えるように、と指示してあったはずですが」
「っ……」
母親はそのことを知っていたのだろう。少し気まずそうに視線を落とした。
俺みたいな若い男に縋ってまで、社長夫人でいたいのかは知らないが、なんと強欲なのか……
「え?! パパ、社長じゃなくなるの? 困るぅ!」
───……お前は勝手に困ってろ。今の会話の半分も理解できていないくせに。
「それと……申し訳ないですが今後一切、この件を含め、ひよ子に接触しないで頂きたい。そちらの女子大生もです。これは最初の忠告です。二度目はありません。接触が確認され次第、即座に弁護士から書面で通達させてもらいます」
「え、女子大生ってまさか私の事?! ひどくないっ?! つぐみって名前があるんだけどっ」
「あっあのっ、ひよ子は私がお腹を痛めて産んだ娘です。あなたにそこまで言われる筋合いは……」
───……そうきたか。
確かにその事実は変わらない。ひよ子を産んだのはこの人だ。でも、ひよ子を捨てたのもこの女だ。
つまり、プラマイゼロだ。
「私だって、妹だもん!」
「妹? ……なら、DNA鑑定でもしますか? 妹だと言うのなら、当然、父親も同じのはずですよね」
「え? さっきお姉ちゃんもそんなこと言ってたけど、なんなの? 母親が同じなんだから、父親なんか誰でもよくない?」
「つぐみ、あなたは黙ってなさい」
あまり触れられたくないのか、母親はその件について口をつぐんだ。
それにしても、この女子大生の頭は空っぽだな。つまり、父親であるストーリックスの代表の頭も空っぽなのだろう。
「ひよ子は、私の娘です!」
ここまで言っても、母親は引き下がる様子はない。夫のために、内助の功のつもりなのだろうか……
「……ひよ子はよく、“子供は親を選べない”と言います。そんな言葉を口にするなんて、どんなに辛いことがあったのかと胸が苦しかったのですが……その理由が、今わかったような気がします。───平気で子供を捨てて、親であることを放棄したにもかかわらず、こんな時だけ親ぶるなんて……」
少し言い過ぎかもしれないが、車の窓は閉まっているし、エアコンの風の音でひよ子には聞こえないだろう。それ以前に、ひよ子はこちらを見る気はなく、違う方を見てぼーっとしている。
「悪いけど、俺達はもう親の助けが必要な子供じゃないんでね───ひよ子が助けてやりたいと思えるような親になれなかった過去の自分の行いを悔やむんだな」
母親に近づき、少し声を抑えて言った。
「……これが美智子おばさんだったなら、ひよ子は絶対に助けただろうけど。───それでは、二度と会わないことを願ってますよ、お母さん」
「うわ、めっちゃ性格悪い……でもかっこいい~」
頭空っぽ女のことは、もう知らん。
俺はその言葉を最後に車に乗り込み、ハンドルを切って出発した。
帰路の車内……先ほどから、ひよ子に何を話しかけても、うん、しか言わない。
俺の事好きかと聞いても、うん。
俺の事嫌いかと聞いても、うん。
チュウしていいかと聞いても、うん。
このまま沖縄に戻ってもいいかと聞いても、うん。
俺の実家行くけどいいかと聞いても、うん。
「───もしもし、健二か? ウチの親が今夜の花火大会みんなで見ようって言ってんだよ。悪いけど、作った飯はなんかに詰めてくれ。それ持って三人で実家行くぞ」
『いやぁ~ん、蒼羅くんもいるのかしらん! 準備して待ってるわねっ! ───浴衣っ浴衣っ』
蒼羅くんとは、俺の兄で、健二の元カレだ。
別れてはいるが、そもそもが兄と健二は、親も公認のバカップルみたいなものなのだ。しかし兄の立場上、交際を公けにする事だけはNGという事で、家族と健二とで話し合い、今の関係になった。
だからこうして健二が俺の世話をやいていることも、二人が俺のマンションで会っている事も、すべて親は知っているし、感謝すらしている。
「……本当、だったんだ……」
やっと、ひよ子が“うん”以外の言葉をしゃべった! 健二の強烈な声で正気に戻ったのだろうか。
「ん? 何が?」
「キラくんの家で花火……もしかして浴衣も?」
「そうだよ、全部本当───断るつもりだったけど、ひよ子が“うん”って言うから」
「……うん?」
やはり聞いていなかったようだ。でももう健二もその気だし、親もその気になっているし、すべては花火大会に向けて走り出している。
何よりも、俺がひよ子の浴衣姿を見たい!
「今日は父親も兄貴もいるみたいだから、まとめて紹介するよ。浴衣に着替える前に実家でシャワー浴びればいいし、髪も化粧も母親がしたがるだろうから、心配いらない」
おそらくひよ子は、実家の犬達のように着せ替えのお人形さんにされるに違いない。
「……うんっっ?!」
そのつもりはなかったが、外堀から埋めていくのもありだな。
───少しでも他の事で頭をいっぱいにして、さっきの事なんて忘れてしまえばいい。