キラくんの愛は、とどまることを知らない
003
あのお風呂での一件以来、キラさんはなんだか忙しそうにしている。
言っていたとおり、仕事が忙しいのだろう。
そもそも、どんな仕事をしたら26歳で資産10億ドルの億万長者になれるのだろうか。あの様子からして、親の会社を継いだ、という感じではなかった。
色々考えたが、届いた自分の荷物は解いていない。いつでもここから出て行けるように。
私には、私の稼いだお金で奨学金を返済し、美智子おばさんに恩返しする義務がある。
これまでは、私の知る範囲の父の借金を払いながら生活できたのは、持ち家で家賃がいらなかったからだ。
しかし近くに穴があると言われたら、あの家にはもう怖くて住めない。
かと言って、今このマンションを出てアパートで暮らすとなれば、キラさんへの返済を考えると生活が苦しくなる。
「つんでる……」
ニワトリとおもちゃで遊んでいると、白い丸い子が顔だけ現し、こちらを覗いていた。
「……あ、君がタマゴ?」
タマゴもデブ猫らしいが、どれほどなのか。
さぁ、そのわがままボディを見せてごらん?
私はタマゴと目が合ったが、興味のないフリをして、ニワトリと遊び続けた。すると、いつの間にか後ろにちょこんと座っていたのである。
「っ本当に……まん丸なんだね……ニワトリとは違うフォルムというか……猫の種類が違うのかな? 毛量かな」
この子達は可愛い。飼い主は可愛くないけど……
こんな事をしながらも、私が父の死亡に伴ってすべき手続きを終わらせる頃には、気付けば忌引休暇は終わりを迎えた。
──────
「おはようございます、お休みありがとうございました」
「おはよう吉良さん、大変だったね」
給与はさほどよくないが、福利厚生が整っており、一人抜けた所で困ることもない人員配置……ここはそれが何より気楽な職場だ。
「何か変わった事はありましたか……?」
どうせないだろうが、万が一という事もある。
「特にないかなぁ? ……あ、ほら、地方の県証紙が廃止になって、電子納付システムが導入になるってやつ。あの件、各部署から説明会に行かなきゃじゃない? 課長が一番若い吉良さんに頼もうとしてたよ」
「うっ……出張って事ですよね……オンラインで済ませたらいいのに……」
あ、でも今は丁度いいかもしれない。あのマンションから出る口実になる。
「何県がありますか? 私、一番遠い所でもいいですよ」
「おや、珍しくやる気……中国、四国地方とかあったよ」
「……う、それはさすがに遠すぎますね……」
───しかし、私は四国行きが決まってしまった……しかも、主任と一緒に……
──────
「あの……私、明日から四国に出張になりましたので、数日不在にします」
「……一人でか?」
「主任……上司と一緒です」
「……解良 海斗34歳独身、身長185センチ、元大学バスケ部の主将で面倒見が良いと評判の男……と、二人でか?」
何故、うちの主任の個人情報を知っているのだろうか……それにしても……へぇ、主任はバスケ部だったのか、背高いもんな。
「そうです」
「ホテルはどこだ?」
「……普通のビジネスホテルですが……」
「ひよ子、スマホを貸せ───俺の連絡先くらいは入れておいて損はないぞ。何かあればヘリでも飛ばして助けに行くからな」
「……はい」
ヘリ1回飛ばすのに、いくらかかると思ってるのか……別に何も起きませんし。
──────
迎えた出張当日。
「久しぶりの出張だから、なんか楽しみだ」
「そうですね、私、四国なんて初めて足を踏み入れます」
「そうなのか? なら俺が前に地元の人からの勧めで行った美味い店に連れてってやるよ、夜出れるか?」
「はい! 楽しみにしてます」
やった、旅先でハズレの店に入ってしまうほどガッカリなことはない。今夜は主任のおかげで大丈夫そうだ。
今回は前泊後泊の二泊三日の行程だ。無理のないスケジュールも、この職場の良いところ。
「そう言えば、親父さん亡くなったばかりだったよな、大丈夫か? 酒とかそんな気分じゃなければ……無理には……」
「大丈夫ですよ、主任はお酒お好きなんですか? 地酒とか狙ってます?」
「いや、俺は酒より上手いもん派……って事にしてるけど、実は下戸なんだ。カッコ悪いだろ男なのに」
「下戸、いいじゃないですか。私の父は酒で駄目になる人だったので、個人的には飲まない人の方がいいと思います」
そうか、主任は下戸なのか……いい人なのにどうして独身なんだろう。
夕方前には現地へ到着した私達は、ホテルに荷物を置いてそのまま近くの観光と食事に出かけた。
「主任って、元バスケ部の主将だったって聞きましたけど、本当ですか?」
「ん? なんで知ってるんだ? どこの情報だよ、怖いな、会社じゃ誰にも話してないのに」
「あ……誰だったかな? 忘れましたっアハハっ───でも、なんでそんな輝かしい経歴を秘密にしてるんですか? 主任の出身大学って、めちゃめちゃバスケの強豪校ですよね?」
「いやぁ……吉良だから話すけど、引退までやり遂げたわけじゃないんだ……怪我してさ、無念の途中交代」
「……あ、そうだったんですか、すみません私、ズカズカと……」
私の馬鹿野郎っ、周りに言わない理由があったに決まってるのに!
「いや、真剣にバスケしてた事は自分でも誇ってるんだ。だから、嫌な思いは一切ないよ───おい、俺が赤裸々に話したんだから、吉良、お前もなんか秘密話せよ」
「えっ! 私ですか?!」
───職場では話す機会の少なかった主任は思ったよりも話し上手で、楽しい人だった。
最近関わった男がアレだから、今回の出張もなんだか身構えてしまったが、心配することは全くなかった。
私達は翌日の仕事をしっかりこなし、もう一日観光を楽しみ、翌日、東京へと戻った。
──────
「ただいま戻りましたぁ〜」
「あらっおかえりなさい、ひよ子ちゃんっ! 出張だったのよね、お疲れさま」
帰宅すると、丁度帰り支度をした健二さんに玄関で出くわした。
「健二さんっ良かった、まだいらしたんですね! お土産渡したくてっ」
「まぁ! 私に? ありがとう〜! 飲むのが楽しみだわぁ」
お酒好きだと聞いていた健二さんには、地酒を買ってきたのだが、喜んでもらえて良かった。
「稀羅くんも出張だったみたいでね、私も丸々二日お休みをもらえたの。沢山寝て、お肌がツルツルになったわ」
「え、キラさんも出張だったんですか?」
そんな事はひとことも言っていなかったのに。
「ええ、ひよ子ちゃんの一時間前くらいに帰ってきてたわよ。今はお風呂入ってるわ。せっかくだし、今日は久しぶりに二人で食事したら?」
「あ……はい、そうします。ありがとうございました」
健二さんは帰ってしまった。
「急な出張……よくあるのかな? ニワトリとタマゴは大丈夫なわけ? あ、健二さんに預けるのかな……」
私が一人ブツブツ言っていると……
「おう、おかえり」
「あ、戻りました……健二さん、ついさっき帰られました」
「ふーん……飯、食ったか? まだなら一緒に食おうぜ」
「……はい、着替えてきますね」
───……なんだろう、いつもと違うような気が……