まだ君は知らない、君の歌



 昼休みの中庭。
 植木の木の葉越しに揺れる木漏れ日が、私たちの上に柔らかく影を落としている。
 蝉の声も届かない静かな午後。食べかけのお弁当と、淡いざわめきだけがそこにあった。


「──えっ?」


 目の前に座る幼馴染、三枝沙月(さえぐささつき)が箸を持ったまま、固まった。
 目を見開いたまま、まるで時間が止まったかのように。


「……え?」

「え、じゃなくて。その……」


 同じ言葉を繰り返す沙月に、私はそっと肩をすくめた。
 俯きがちに視線を落とし、呟く。


「バンド、やることになったの」

「……いと……それ、冗談じゃないよね?」

「うん……」


 小さく頷くと、沙月の顔にゆっくりと困惑の色が広がっていった。
 彼女は数秒間ぽかんと口を開けたまま沈黙し、やがて深く息を吐いた。


「あの……ちょっと待って。いとって、あの“人前で発表とか絶対無理”って言ってた絃音だよね?」

「う……」


 胸の奥がちくりと痛んだ。
 それは、自分でも一番よく分かっていることだった。
 私は、舞台に立つなんて絶対に無理なタイプで、教室で先生に当てられた時でさえ人目が気になって仕方がないのに。


「だ、だけど……」


 言いかけて、言葉に詰まる。胸のあたりを押さえて、ぎゅっと唇を噛んだ。

 でも──あの言葉が、耳に残っていた。


「歌ってって、言われて」

「誰に?」

「……奏良くん……」

「え」


 沙月の目が一瞬で大きく見開かれた。まるで、スイッチが入ったように。


「──そ、"奏良くん"!? か、片桐奏良!? あの!? 軽音部の!? ……え、え、え!?」


 昼休みの中庭の片隅で、私たちだけが急に異様な熱量を持ちはじめる。
 沙月はお弁当の存在すら忘れて身を乗り出し、目をぱちくりとさせながら問い詰めてくる。


「えっ……それってどういうこと……? ていうかあの片桐くんと話したの? 普通に?」

「普通に……ではないかも。わりと強引に……」

「ちょっと待って。じゃあさ、その……」


 沙月がぐいっと顔を近づけてくる。息づかいが近くて、ちょっとだけ照れくさい。


「もしかして、告白とか、された?」

「……」


 言葉が出なかった。
 その沈黙だけで、沙月はすべてを悟ってしまった。


「マジで!?」

「しーっ……!」


 私は慌てて手を伸ばし、沙月の口元に手のひらを押し付けた。
 声が大きい。目立つ。誰かに聞かれたら困る!

 中庭の様子をぐるりと見回す。幸い、他の人たちは各自のお弁当やお喋りに夢中で、私たちの会話には気づいていないようだった。


「──本当に? 本当に告白されたの?」

「ちが、告白とかじゃなくて……その、音楽的に、」

「音楽的に、って何その言い方!?」


 沙月は興奮を押し殺すように、でもやっぱり高揚した声で返してくる。
 私はなんだか、穴があったら入りたい気分だった。


「ただ……き、"君の声に恋した"、みたいなこと、言われただけで」

「いやいやいや。あの片桐奏良が、絃音の声に執着してるって時点で、事件だからね!?」

「それは……」

「やっぱり片桐くんって、絃音のこと……」

「違うから!」


 即座に否定した。自分でも驚くほどの勢いで。


「……まだ何も言ってないけど」

「絶対違う!」


 強く言い切ったはずなのに──その瞬間、胸の奥で何かが跳ねた。
 それが何なのか、自分でも分からなかった。


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