―待ち合わせは、                   名前を忘れた恋の先で―

第10章|再会のはじまり

 その日も、彼女は文庫本を手にとって、静かにページをめくっていた。
駅前の小さな書店の一角。あの日と同じように、彼女は静かな世界にいた。

 

 「……紬、だよな?」

 

 声をかけた瞬間、彼女の肩がぴくりと揺れた。
ゆっくりと顔を上げて、目が合う。けれどその瞳は──どこか、遠かった。

 

 「……えっと、どちら様ですか?」

 

 まるで知らない他人に対するような、けれど丁寧なその言葉に、大翔は軽く眉をひそめた。

 

 「え、俺……高瀬。高瀬大翔。高校、同じだったんだけど。……風見ヶ丘」

 

 紬はその言葉に目を瞬かせて、そして小さく首をかしげた。

 

 「あの……ごめんなさい。ちょっと……思い出せなくて……」

 

 「……そっか」

 

 拍子抜けしたような、でもどこか不自然さを感じた。
嫌われてるってわけでもなさそうで、ただ──何かが欠けているような。
でもまさか、記憶がないなんてことは、このときの大翔には想像もできなかった。

 

 「……まあ、突然声かけてごめん。俺もびっくりしてさ。偶然だなって」

 「……いえ。こちらこそ、すみません」

 

 少し気まずそうに笑う彼女を見て、大翔はやっぱり紬だ、と確信した。
たとえ名前も顔も思い出してもらえなくても。
そこにいる彼女は、あのときと同じ“紬”だった。

 

 「もしまた会ったら、少しだけ話してくれたりする?」

 

 少しの間、彼女は黙って──

 

 「……はい。たぶん、私も……何か、大事なことを忘れてる気がするので」

 

 その言葉が、なぜか心に引っかかった。

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