―待ち合わせは、 名前を忘れた恋の先で―
第11章|ふたりの距離
それから数日後。
駅前の書店で、ふたりはまた偶然出会った。
今度は、紬の方が少し先に気づいて、ぺこりと頭を下げる。
「……あの、こないだはありがとうございました」
「ううん、こっちこそ」
ぎこちない挨拶。でも、その声はほんの少しやわらかくなっていた。
それからというもの、不思議な偶然が重なった。
同じ時間、同じ場所で、ふたりは何度も顔を合わせるようになった。
初めのうちはたまたま、そう思っていたのに、ある日ふと気づく。
──あれ、大翔くん、またいる。
「よく来るんだね、この本屋」
「うん、まあ……最近ちょっと、本も読んでみようかなって」
そう言いながら、大翔は明らかにタイトルをよく知らないような本を手に取っていた。
ページもろくに開かず、逆さに持っていることもある。
「……苦手なんでしょ、本」
「……バレた?」
「ふふ。わかるよ、それくらい」
そうやって、ふたりは時々立ち話をするようになった。
カフェに入ることも、駅まで一緒に歩くことも増えていった。
大翔は、本を読まない自分が、こんなふうに誰かと話すために書店に通うなんて、想像もしなかった。
その誰かが、“紬”じゃなかったら、たぶんこんな気持ちは生まれなかった。
──あの日、言えなかった「好き」を、
今度こそ、ちゃんと伝えたい。
けれど紬の瞳は、まだ“あの頃”を映してはいなかった。
彼女の中で、大翔は「誰か」でしかなく、過去も記憶も、まだ遠くにあるままだった。
それでも、大翔は笑って言った。
「また、ここで会えたりするかな」
紬は少し迷って──けれど、うなずいた。
「……はい。私も、もう少し話してみたい気がするから」
そうして、ふたりの“いま”が始まった。
—
あの日から、私は駅前の小さな本屋に、毎日のように立ち寄るようになった。
もともと本が好きな私は、どんなに疲れていても、帰り道にふらりと寄ってしまうのが習慣だった。
だけど最近は、いつもより少し長く店内を歩き回ってしまう。
たぶん──いや、きっと。
その理由は、自分でももうわかっていた。
彼が、よくその本屋にいることを、知っているから。
何度か、顔を合わせた。
そのたびに、彼は照れくさそうに笑って、「やあ」と軽く手を挙げる。
私はそのたび、胸の奥が少しだけあたたかくなるのを感じた。
「その小説、今読んでるの?」
「……うん。ちょっとずつ、だけど」
会話は、短い。
でも、その短さのなかに、どこか安心できる温度がある。
そしてある日、彼がふと口にした。
「……おれ、本、あんまり読まないんだ」
「え?」
「字ばっかで、眠くなるし。ずっと苦手だった。でも──」
そこまで言って、彼は手にしていた文庫本をゆっくり棚に戻した。
目線は、私へ。
「最近、毎日ここに来てる。なんか、会える気がして」
言葉に詰まりそうになる心を抑えながら、私は視線を逸らした。
彼が何を想って言っているのか、少しだけ伝わってしまった気がして、怖かったのかもしれない。
記憶はまだ、何も戻っていない。
でも、目の前の彼が優しくて、まっすぐで、どこか懐かしいような気がする。
そしてその懐かしさに、私は少しずつ惹かれていく自分に気づいていた。
駅前の書店で、ふたりはまた偶然出会った。
今度は、紬の方が少し先に気づいて、ぺこりと頭を下げる。
「……あの、こないだはありがとうございました」
「ううん、こっちこそ」
ぎこちない挨拶。でも、その声はほんの少しやわらかくなっていた。
それからというもの、不思議な偶然が重なった。
同じ時間、同じ場所で、ふたりは何度も顔を合わせるようになった。
初めのうちはたまたま、そう思っていたのに、ある日ふと気づく。
──あれ、大翔くん、またいる。
「よく来るんだね、この本屋」
「うん、まあ……最近ちょっと、本も読んでみようかなって」
そう言いながら、大翔は明らかにタイトルをよく知らないような本を手に取っていた。
ページもろくに開かず、逆さに持っていることもある。
「……苦手なんでしょ、本」
「……バレた?」
「ふふ。わかるよ、それくらい」
そうやって、ふたりは時々立ち話をするようになった。
カフェに入ることも、駅まで一緒に歩くことも増えていった。
大翔は、本を読まない自分が、こんなふうに誰かと話すために書店に通うなんて、想像もしなかった。
その誰かが、“紬”じゃなかったら、たぶんこんな気持ちは生まれなかった。
──あの日、言えなかった「好き」を、
今度こそ、ちゃんと伝えたい。
けれど紬の瞳は、まだ“あの頃”を映してはいなかった。
彼女の中で、大翔は「誰か」でしかなく、過去も記憶も、まだ遠くにあるままだった。
それでも、大翔は笑って言った。
「また、ここで会えたりするかな」
紬は少し迷って──けれど、うなずいた。
「……はい。私も、もう少し話してみたい気がするから」
そうして、ふたりの“いま”が始まった。
—
あの日から、私は駅前の小さな本屋に、毎日のように立ち寄るようになった。
もともと本が好きな私は、どんなに疲れていても、帰り道にふらりと寄ってしまうのが習慣だった。
だけど最近は、いつもより少し長く店内を歩き回ってしまう。
たぶん──いや、きっと。
その理由は、自分でももうわかっていた。
彼が、よくその本屋にいることを、知っているから。
何度か、顔を合わせた。
そのたびに、彼は照れくさそうに笑って、「やあ」と軽く手を挙げる。
私はそのたび、胸の奥が少しだけあたたかくなるのを感じた。
「その小説、今読んでるの?」
「……うん。ちょっとずつ、だけど」
会話は、短い。
でも、その短さのなかに、どこか安心できる温度がある。
そしてある日、彼がふと口にした。
「……おれ、本、あんまり読まないんだ」
「え?」
「字ばっかで、眠くなるし。ずっと苦手だった。でも──」
そこまで言って、彼は手にしていた文庫本をゆっくり棚に戻した。
目線は、私へ。
「最近、毎日ここに来てる。なんか、会える気がして」
言葉に詰まりそうになる心を抑えながら、私は視線を逸らした。
彼が何を想って言っているのか、少しだけ伝わってしまった気がして、怖かったのかもしれない。
記憶はまだ、何も戻っていない。
でも、目の前の彼が優しくて、まっすぐで、どこか懐かしいような気がする。
そしてその懐かしさに、私は少しずつ惹かれていく自分に気づいていた。