―待ち合わせは、                   名前を忘れた恋の先で―

第15章|“はじめまして”じゃない、ふたり

約束した日は、どこか春の名残が漂う午後だった。

待ち合わせ場所は、駅から少し離れた静かな公園のベンチ。
平日の昼下がり、人も少なく、風が心地よくて──

紬が少し早く着くと、もうそこには高瀬くんの姿があった。

「……早いね」

思わずそう口にすると、彼はいつものように、少しはにかんだ笑顔を浮かべる。

「なんか、落ち着かなくてさ。早く来すぎちゃった」

その言葉に、紬は少しだけ笑う。
なんでもない会話なのに、どこか懐かしい安心感があった。

「……今日は、ありがとう。来てくれて」

「ううん、こっちこそ。誘ってくれて、ありがとう」

しばらくの沈黙。
ふたりの間に、やわらかな風が流れる。

そのとき、彼がふと口を開いた。

「……記憶、なくしてるって──最近、聞いたんだ」

紬のまばたきが、一瞬止まる。

「……知ってたんだ」

「この前、偶然。高校のときの……同級生に会ってさ。
そのときに、初めて聞いた。……だから、いままで気づいてなくて、ごめん」

素直な声だった。
責めるようでもなく、同情でもなく。
ただまっすぐなまなざしが、紬を見ていた。

「……謝らないで。悪いのは誰でもないから」

紬は小さく笑った。
けれど、その瞳の奥には、ほんの少しだけ迷いがにじんでいた。

「思い出せないままでも、紬が紬なら──
それで、いいって思ったんだ。俺は」

やわらかな声が、風にまぎれて届く。
その言葉に、紬はまた少し、息をゆるめた。

「……ありがとう」

その一言しか、言葉にできなかったけれど──
ふたりの距離は、確かに少し、近づいていた。

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