―待ち合わせは、                   名前を忘れた恋の先で―

第16章|思い出せない、けれど

その日を境に、ふたりは時々、会うようになった。
カフェで他愛もない話をしたり、近くの公園を散歩したり。
まるで、長く付き合っていた恋人たちの“再会”みたいな時間だった。

──でも、それは紬にとって“初めて”の時間で。
高瀬くんにとっては、“続き”のような時間だった。

「紬って、意外と食べるよね」
「失礼。……普通だよ、これくらい」
「そっか。高校の時も、お弁当大きかったもんね」
「……そうなの?」
「あっ、ごめん。えっと……聞き流して」

そんな、ほんの些細な言葉にも、紬の心は少しだけ揺れた。

彼が知っていて、私が知らないもの。
彼が笑えて、私が笑えない記憶。

──“取り戻したい”。
ふと、そんな思いが胸に浮かぶようになった。

ある日のこと。
待ち合わせの帰り道、紬は歩きながらぽつりと呟いた。

「……私ね、記憶、取り戻したいって思ってるの」

隣を歩いていた大翔くんが、少し驚いたように振り向いた。
だけど、すぐに静かな声で答える。

「そっか……」

「忘れたままでも、大丈夫だって思ってたけど……
大翔くんといると、思い出せない自分がちょっとだけ悔しくなるの」
「……うん」
「だから、お願い。……私を、昔の“私”に連れていってほしい」

少しの沈黙のあと、彼は穏やかに頷いた。

「行こう。思い出の場所──いくつか、あるんだ」

──それは、紬がまだ知らない、自分自身の欠けた“ページ”をめくる旅のはじまりだった。

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