―待ち合わせは、                   名前を忘れた恋の先で―

第19章|言葉にならない想い

最後に訪れたのは、緩やかな傾斜が続く住宅街の坂道。
夕暮れが街をやさしく染めるころ、二人の影が静かに重なる。

「……ここって、前にも来たことあるのかな」
ぽつりと漏らした紬の声に、大翔くんは少しだけ笑って答える。

「そうだね。たぶん、何度も来てると思うよ」

私には思い出せない、でも彼の中には確かにある時間。

「この坂道……高校のとき、いつもここで分かれてたんだ」
「分かれて……?」

「紬はこの坂の上の方に住んでて、俺はこっち。
だから、いつもここで“じゃあね”って。
それで、たまに……追いかけたりもしてた」

「追いかけて……?」

「……なんでもないよ」
そう言って、彼は少し照れたように笑った。

私はその顔を見ながら、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。

──ここで、何かがあった。
でも、思い出せない。
悔しいくらいに、心がその続きを欲しがっている。

「……大翔くん」
「ん?」

「私……やっぱり思い出せない。けど、今の気持ちは……本物だと思うの」

「……うん」

「記憶がないのに、なんでこんなに安心できるんだろうって不思議だった。
でも……きっと、あなたが私にとって、大切な人だったからだよね」

その瞬間、彼の表情が少しだけ揺れた。

そして、ふいに私の手をそっと取って、静かに言った。

「俺ね、あのとき……言えなかった言葉があるんだ」
「……言葉?」

「“付き合ってください”って、あのときはそれしか言えなかった。
でも本当は、もっとちゃんと伝えたかった」

「……」

「紬。
俺、今でも──お前のこと、愛してる」

──その言葉が、空気を変えた。
沈んでいた記憶の湖底から、何かがふわりと浮かび上がる。

名前を呼ばれた気がした。
あの日の風が吹いた気がした。

そして、次の瞬間──

一筋の涙が、頬を伝っていた。

胸の奥がちくりと痛んで、やさしく震える。

「……高瀬、くん……?」

かすれる声で名前を呼んだその瞬間──

色を失っていた記憶が、一気に波のように押し寄せてきた。

笑い声、手のぬくもり、隣で過ごした日々。

私は──思い出した。
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