「物語の最後に、君がいた」

第1話 いなくなりたかった日

教室のドアを開けた瞬間、息が詰まった。
視線を感じる。でも、誰もわたしの目を見ない。

席に座ると、イスが少し後ろに引かれていて、机の中にはお菓子のゴミ。
何も言わずに、それをカバンに押し込んだ。
教科書を開いても、ノートを取っても、わたしの存在がこの教室のどこにもないような気がして、毎日がただ、灰色に流れていった。


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家に帰ると、母の怒鳴り声が飛んでくる。

(みお)!また成績落ちてるじゃない!あんたみたいな出来損ない、うちの子じゃないわ!」

返事をする気力もない。
父はリビングでテレビを見たまま、何も聞こえなかったふりをしている。
わたしは、静かに自分の部屋に引きこもって、いつものようにベッドの下から一冊の本を取り出した。


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タイトルは『空に溶ける日』。

わたしが初めて心から好きになった本。
どこか寂しくて、どこかやさしいその物語の中に、何度も自分を重ねた。

その物語の舞台は、福岡。
港の見える坂道、昔ながらの本屋さん、静かな川沿いのベンチ。
わたしは、ページの向こうに広がるその風景を、ずっと夢見ていた。


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「死ぬなら、福岡がいいな」

声に出したその言葉が、あまりにも自然で、自分でも驚いた。
でも、本気だった。

あの物語の中にいたわたし。
唯一、自分でいられたその場所で、最期の時間を過ごせたら、それでいい。
そう思ったら、少しだけ心が落ち着いた気がした。


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次の日の朝、リュックに財布とスマホと文庫本だけを詰めて、家を出た。
朝の食卓では、母と父が言い争っていたけど、わたしの姿に気づくことはなかった。

新横浜駅。
自由席の切符を買って、新幹線に乗り込んだ。
何度も読み返したその本を開いて、知らない町へ向かう。

あの物語の、最後のページみたいに。

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