「物語の最後に、君がいた」
第3話 ふたりで歩く、はじめての坂道
待ち合わせは、天神の駅だった。
時間ぴったりに現れた悠真は、昨日と同じ黒いパーカーに、キャップをかぶっていた。
観光案内って感じじゃないのに、それがかえって自然で、落ち着いた。
「……おはよう」
「おはよう。来てくれて、ありがとう」
わたしがそう言うと、彼はすこしだけ照れたように目をそらした。
「こっち、歩こうか」
悠真はそう言って、駅前の喧騒から少し離れた路地へと入っていく。
知らない街なのに、不思議とこわくなかった。
---
彼が連れてきてくれたのは、小さな坂道だった。
片側に古い石垣があって、その向こうに民家がぽつぽつと並んでいる。
「この道、なんか好きでさ。静かで、風がよく通るんだ」
確かに、坂の上から吹き抜ける風が髪をなでた。
遠くには海が見えた。空もひらけていて、息がしやすい。
「なんか……あの本に出てきそうな道」
わたしがそう呟くと、悠真がふっと笑った。
「でしょ。初めて来たとき、俺もそう思った。
ここ、あの作家が住んでた場所の近くらしいよ」
「……ほんとに?」
「ほんと」
なんだろう。
さっきまでの自分が、ほんの少し、遠くなった気がした。
---
坂の途中で、ベンチに腰掛けた。
「……この前言ってた本、好きになったきっかけってある?」
悠真が、不意にそう聞いた。
わたしは少しだけ迷って、それから答えた。
「小学生のとき、図書室で読んだの。はじめて“誰かの気持ち”が、自分の心に届いた気がして……それから、ずっとその人の本ばかり読んでた」
「……わかるな、それ」
悠真は空を見上げながら言った。
「俺も、その人の本読んで……
心の中に、誰かがちゃんと“いてくれる”感じがした。
現実ではいなくても、言葉だけは、残ってくれるっていうか」
その言葉に、わたしは思わず目を伏せた。
わかる。
すごく、わかる。
---
わたしたちは、夕方まで、いくつかの場所を歩いた。
川沿いの道。古い喫茶店。屋上の静かな展望スペース。
どこも人が少なくて、やさしい景色ばかりだった。
楽しかった。
それが、どこかくるしくて、さみしかった。
だってわたしは、
この街で終わろうとしていたから。
---
別れ際、悠真が言った。
「……また、明日もどっか行こう。時間あれば」
「うん……ありがとう」
それしか言えなかったけど、
胸の奥に、小さな灯がともった気がした。
---
「この街のこと、好きになれそう?」
彼のその言葉に、わたしは少しだけ、笑ってしまった。
「……まだ、わかんない。でも」
「でも?」
「今日は、悪くなかった」