「物語の最後に、君がいた」
第7話 それでも、まだわからないことが多すぎる
福岡に来てから、何日が経ったんだろう。
澪は、朝の光の中でカーテン越しに差し込む陽の色を眺めながら、ぼんやりと考えていた。
昨日は、悠真とたくさん歩いた。
彼の母親のお墓にも行った。
泣かなかったし、怖がらなかった。
けれど、心の奥に残っているのは、言葉にできないもやもやした感情だった。
「……わたしは、何がしたいんだろう」
死ぬことじゃなくて、“生きること”を考えるようになってから、逆に不安が増えた。
進む方向が見えない。
未来を想像するなんて、やっぱりまだ難しい。
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その日の午後、悠真からメッセージが届いた。
【📩 悠真】
今日はちょっと面白いところに連れて行きたい。
本の好きな澪なら、きっと好きかも。
時間あったら、また駅で待ち合わせしよう。
その文字を見た瞬間、胸の奥がすこしだけ温かくなった。
"会いたい"と思うこと自体が、澪にはまだ不思議な気持ちだったけれど、
気づけばすぐに「行く」と返事をしていた。
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待ち合わせの駅に、悠真はいつも通りの淡々とした表情で立っていた。
けれど、今日はなぜか少しだけ笑っていたような気がした。
「行こうか」
「うん」
それだけの会話で、澪は安心できた。
言葉が少なくても、そばにいてくれる。
それが、今の澪には十分すぎるほどだった。
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連れて行かれたのは、小さな古本屋だった。
路地裏にあって、看板もかすれている。
けれど扉を開けた瞬間、本の香りに包まれた。
「……すごい」
澪は思わず声をもらした。
天井まで届く本棚、ところどころに積まれた文庫や詩集。
新刊書店にはない、静かで息づいた空気がそこにはあった。
「俺、ここ好きなんだ。母さんも本が好きだったから、よく来てた。
本を読んでるとさ、時間が止まったみたいになるだろ?」
「うん……わかる。
なんか、ずっと遠くに行ける気がするよね。現実じゃない場所に」
二人の間に流れる空気が、少し柔らかくなる。
同じ感覚を共有できるというのは、こんなにも心地いいんだと思った。
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澪は、ふと棚の奥にあった一冊を手に取った。
それは、彼女が大好きだった作家の、初期の短編集だった。
「これ……持ってない」
「じゃあ、それ買えば?
俺が最初に薦めたあの作家、実は母さんが好きだった人なんだよ」
「……そうなんだ」
「……うん。だからさ、もしかしたら、
俺が澪と出会ったのも、母さんが仕組んだのかもって思ったりするんだ」
その言葉に、澪の胸がぎゅっと締めつけられた。
悠真は、彼なりに“いなくなった人”とつながろうとしている。
そして今、目の前にいる自分も、そのつながりの中にいる。
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「……悠真」
「ん?」
「わたし、今も未来のこと、よくわからない。
大学のことも、親のことも……全部置いてきたままで。
それって、逃げてるだけかな」
「逃げてるんじゃなくて、“まだ守ってる”んだと思うよ。
それだけ、傷ついてきたってことでしょ?」
悠真の声は優しかった。
澪は、その言葉に思わず涙がこぼれそうになった。
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「……もしさ、大学、こっちに来ることになったら、どうする?」
「ん?」
「そのときは、俺が全部案内するよ。
学校のことも、バイトのことも、部屋探しも。
あと、週に一回は一緒に本屋に行く。絶対」
その約束は、冗談みたいだったけど、なぜか胸にまっすぐ響いた。
澪は少しだけ笑った。
それは、ここ最近でいちばん自然な笑顔だったかもしれない。
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"未来はわからないけど、少なくとも、今日を終わらせたくないと思った"
それは、消えたいと思っていたあの日のわたしには、想像もできなかったこと。