フィクションですよね⁉︎〜妄想女子の初恋事情〜

倫の変化

外回りから帰社すると、もう午後八時を回っていて、営業部のフロアは数人の社員が残っているだけだった。
 
雪の中、取引先を回った倫の身体は疲れきっていた。普段より業務過多ではあるものの、このくらいはときどきある。それなのにこんなに疲れを感じるのは、精神的なものが影響しているのだろう。
 
近くの席の後輩がまだ残っていて、パソコンを開いていた。

「お疲れさま」

声をかけると顔をあげる。

「あ、伊東さん、お疲れさまです」

「……それってあさってのプレゼン?」
 
たしか彼は、数日後にはじめてひとりでのプレゼンを控えているはずだと、思い出しながら問いかけた。
 
倫は彼の直接の指導係ではないけれど、ときどきアドバイスを求めにくる後輩のひとりだった。

「そうです。最終確認してて……ってもうやることはほとんどないんですけど。なんか緊張しちゃって……」
 
気持ちがはやっているのだろう。倫にも身に覚えがある。

「わかるよ、俺もはじめての時は緊張したな」

「伊東さんでもですか?」
 
少し驚いて尋ねる彼に苦笑する。

「そりゃするよ」

「そ、そうですよね、……だけど伊東さんって、そういうのなさそうっていうか。ほかの先輩たちから伊東さんの話を聞くと新人の時も落ち着いていて、すでにできあがっていたと聞いたので」
 
それは倫に対する真っ当な評価だ。
 
そう見えるように、裏では血の滲むような努力をしていたのだから。ビジネスの相手から見たら新人かベテランかなど関係ない。

「いや緊張はするよ、俺も人間だからさ」
 
それでもこんな言葉を口にするのは、できる先輩にも多少は自分と同じようなところがあるのだと彼に思わせるため。適度な親近感を抱かせるためだ。
 
幾度となく繰り返した自分を演出するためのこんな会話は、頭で考えなくてももはや勝手に口が動く。
 
仕上げに〝応援してるよ、頑張って〟と、にこやかに微笑めば完璧だ。

「そうですよね。……でも伊東さんと俺とは違うと思います。俺は伊東さんみたいに優秀じゃないし、まったく出来上がってないから」
 
彼は今年の春に新卒採用された社員だ。
 
これまでは先輩について取引先を回っていた。いつかは独り立ちすることくらいわかっていただろうに、今さら弱音を吐くなんて、準備不足にもほどがある。
 
いつものように倫は心の中でそう思う。特別同情する必要はない。
 
……けれど。
 
視線の先で、マウスの上の彼の手が、意味もなくカー
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