近くて、遠い、恋心
「海外での仕事ですか?」
「はい。先日、一緒にお仕事をさせていただいた作品。着物の帯を使ったデザイン。あちらを見た海外のクライアントが、あのデザインを作ったクリエイターに会いたいと言っていまして、試しに稲垣さんの作品を数点見せたところ、あなたとじゃないと仕事をしないとごねているんです」
「えっ……と、冗談ですよね?」
「いいえ、残念ながら冗談ではありません。我が社としても、彼との仕事は是が非でも成立させたい」

 困った表情で眉尻を下げる佐々木さんの顔を見て、彼のこんな姿も珍しいと単純に興味が湧く。あらゆるトラブルを平然とスマートに解決してきた佐々木さんにこんな困り顔をさせるほどのクライアントなんて珍しい。ただ、今までと何が違うと言うのだろうか? 佐々木さんが窓口となり、彼が主体となり下請けの我が社へと必要な仕事を振る。それに私が関われば良いだけの話だ。

「佐々木さん、海外のお客さまとのお仕事。確かに、日本人とは感性も、価値観も違うので今までよりもハードルが高いですが、私のデザインを気に入ってくださっているのなら何も問題はないのでは? いつもと同じように佐々木さんの依頼でお仕事をするだけですよね」
「いやぁ……、それが――」

 視線を逸らし口ごもる佐々木さんの態度に不安感が募る。
 とても気難しいクライアントとか?
 そんな疑問も次に続いた佐々木さんの言葉で空の彼方へと消え去った。

「クライアントは、君と海外で仕事をしたいと言っているんです」
「はっ? 海外で仕事ですか?」
「えぇ、それも自分の仕事風景からインスピレーションを受けて欲しいと」
「ちょ、ちょっと待ってください。そんな話、聞いたことありません。いくらなんでも、自分勝手過ぎやしませんか?」
「あぁ、普通ならね。ただ、彼ならそれが許されてしまう」

 気に入ったからと大手広告代理店にクリエイターを探させ、わざわざ海外に呼びつけてまで仕事をさせることの出来るクライアントって、どんな大物よ。
 にわかには信じられない話に喉が緊張でゴクリと鳴る。
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