この音が、君に届くなら
きぃ……と、音を立てて扉が開いた。

放課後とは違う、昼の光が静かに差し込んでいる音楽室。
窓際のカーテンが風に揺れ、木の床にやわらかい影を落としていた。

誰もいない。

(……当たり前か)

昼休み、バンド練習をしている気配はなかった。
澪はそっと室内に入り、ピアノの前まで歩く。

そこには、昨日のままのアップライトピアノ。
埃ひとつない鍵盤が、澪をじっと見つめているように感じた。

椅子に座る。深く息を吐く。
指先が、鍵盤の上にそっと置かれた。

(……弾かなくてもいい。ただ、触れるだけ)

それでも、沈黙の中に置いたその指は、かすかに震えていた。
三年前、兄がいなくなってから一度も触れなかった場所。
音を鳴らしたら、すべてが壊れてしまいそうで怖かった。

だけど今は――
あのときとは、何かが違う気がした。

そっと、ひとつ音を鳴らす。
それは、想像していたよりも柔らかくて、温かい音だった。

(……大丈夫)

澪は、ゆっくりと両手を置き直した。
浮かんできたのは、昨日の夜、頭の中で何度も繰り返したメロディ。
誰にも聴かせたことのない、自分だけの音。

指が自然に動き出す。
光の中に、音が重なっていく――
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