湿気た夜を齧る
やっと授業が終わって放課後になった。いつもより人に話しかけられたせいで長く感じた。
帰ろうかとも思ったけど今日は部活に顔を出しに行くことにした。軽音部。なんてったって、憧れてる先輩が受験期を目前にしつつも息抜きに遊びに来るって言ってたから。息抜きと言えども文化祭ライブに向けて結構ガチで練習してるし、あの人の演奏から勉強できることを今のうちに吸収しときたいのもある。
共有スペースのドアを開けたら向けられる視線をフル無視して先輩との定位置にまっすぐ向かう。まだ先輩はいない。
先に指を温めておこうと、1曲だけ弾いてみる。今生まれた音は列を成して僅かな間だけ響いて、次の音の列に舞台を譲って死んでいく。いつの間にか周りのざわめきが聞こえなくなっているほど、指先の感覚にのめり込んでいく。冷静に正確に、痛みを伴いながら、弦を弾く。
最後の一音を指先で叩き落とすように弾き終えたら、周りからは歓声があがった。その声の主は圧倒的に女子の方が多い。そいつらは次々に俺の前に来て一言だけ褒めては部屋を去っていく。
男子たちはと言うと、恨むように俺に視線を寄越してから負けじと一曲弾き始める。しかし聴衆は集まらない。そんな男子たちを羨ましいと思うのは我儘か。正当な評価を得たいと思うのは罪なのか。
けどそんな問いも、すぐどうでもよくなった。
「おつ〜やってんなぁ。てかお前の音さ、いつ聞いても死ぬほど俺のに似てんな?」
「お疲れ様です、先輩の音に似てるなんてもったいない表現使わないでくださいよ。俺なんて先輩に比べたらまだまだ未熟で…」
「あー、良い良いそーゆーんは。素直に褒められてろ。真似されて嬉しいって気持ちも少なからずあるんだから。」
牧村悠太先輩。俺が軽音に入る決め手になった人。彼の演奏技術は目を引くものがあり、この部の中でも異彩を放っている。それ故か先輩も孤立していて(俺と違って最低限話せる人はいるらしいが)、接近するのは難しくなかった。先輩は俺の熱意を知ってから気にかけてくれるようになって、時間が合えば演奏のアドバイスをしてくれる。
「先輩は今年、初めて文化祭ライブに出るんですよね。もう演奏曲決めたんですか?」
「まあな。いくらお前でも教えないけど。」
「それではぐらかして、結局決まらなくて辞退したのが去年でしたよね?」
「それは今関係ないだろ?!」
「今年こそちゃんと出てくださいよ?…俺の唯一の楽しみなんで。」
「きゃ〜っ、燈夜クンがデレた〜っ!かわい〜い!」
先輩は今までかっこよさを持て囃されてきた俺のことを、純粋な後輩としてかわいいと言ってくれる。こんな学校にも俺の中身を見て接してくれる人がいるのは嬉しかった。何日も共にすごしたクラスメートより、俺らより遥かに長く生きている先生より、時間が合う時しか話せない先輩の方が信頼できる。
「そうだ、お前住んでるのって正門出て右の方だよな?そんでチャリ通。」
「はい。どうかしました?」
「後輩のかわいさに免じて先輩からスペシャルプレゼント〜」
そう言って先輩はコンビニの割引券を渡してくれた。
「えっいいんですか?」
「俺ん家の方このコンビニないんだよな、お前ん家の方にならあるだろ?」
「たしかにそうですね。じゃ、ありがたく貰っときます。期限は…って、今日じゃないですか!」
「あっバレた」
「珍しいと思ったら…」
「今のは一言余計だぞ!」
今日は帰りにコンビニ寄ってこ。この雑さが今はいちばん心地いい。1つ違う年に生まれたのが悔しくなるくらい、先輩は本当に、良い人だ。
〇
「それで俺が、使われなくなったシステムを復活させることを提案したんだ。このおかげで人件費の爆発的な増大を防げたと言っても過言では無いだろう!」
「えー篠くんすごぉい!天才じゃんよそれは」
「なのに上層部ったらそれを評価してくれず…」
…こいつ、思ったよりめんどくさいやつだな。服見れるの楽しみとか言っときながら、1着買ったら飽きたのかレストランに連れてこられた。そこから3時間話を聞かされるばっか。
あーあ。こうなるなら明後日約束した奴と2回遊ぶ方がまだマシ。世界一無駄な3時間すぎんかこれ。
「繭理ちゃんは将来、上層部が腐ってる職場選ばないようにね?」
だっる。成功談も失敗談も教訓も、全部聞きたくないわ。将来への注意なんてクソ喰らえ。
「うん、めっちゃ勉強なったわw篠くん頼りになるね!」
「何か不安なことあればいつでも頼ってね」
「えー優しすぎん?!善意の化身かよぉ」
醜さの化身の方が似合ってるけどね笑
〇
そこから更に4時間も話を聞かされ、レストランの店員さんに注意されるまでこいつは話し続けた。私はそれを聞き流しながらパフェにオムライスにクレープまで食べちゃった。
レストランから出たらもう空は暗くなり始めてて、理由をこじつけて帰るにはちょうど良かった。けどこいつも思ったより頑固で、帰る前にコンビニだけ一緒に行くことになった。
いつもなら好きな夜道も、こんな奴と一緒にいるとどこか穢されてしまったように思える。歩いてる間もこいつは自分に酔った話しかしなかった。
途中で急に吸い出した煙草の煙がこの上なく臭かった。お高い銘柄を使ってるとか言ってたけどさぁ、未成年の私にどう反応しろって?
コンビニに着いたら今日のお礼に好きな物を買ってくれるって言うから、ちょっと高いコンビニスイーツを選んでやった。棚から目的の品を取って来て、かわいくしゃがんで同じカゴに入れる。カゴにはたくさんの缶ビールとチョコ菓子が入っている。
「そういえば写真、全然撮ってなかったね」
私がカゴから顔を上げたら、次の瞬間、シャッター音がした。もう遅かった。こいつは自分のスマホ画面をみながらニヤニヤしてる。
…あー、ちょっと嫌かも。アングルも趣味悪っ
「…ねぇ、それの許可、してないんだけど?」
「あぁ、すまない。たかが写真1枚なんだし、まあそこまで怒らないでくれ。悪かったね」
悪びれてなんてないだろ。口先で形だけ謝んな。
「いやいや、写真は消してくれない?アプリのステメでもお写真NGって書いてたし。」
「そうだったかい?でも思い出に1枚だけ、別にいいじゃん。今日仲良くなったんだしさ」
「仲良くなった?…ありえんすぎw」
「何だよ、それ」
「冷めた?なら写真消してよね」
こいつは不満そうながらも写真を消してくれた。そのまま無言でレジへ向かう。けど…
「これだけ、棚戻しといてください。」
私のスイーツだけ買わなかった。
「あっちょっと!」
「仲良くなってないなら繭理ちゃんにスイーツを買う義理なんてないだろう?」
そこからは2人とも黙ってお会計が終わるのを待った。
外に出てからこいつはあからさまに態度を変えて、でも仲直りしたそうに、きしょすぎる口調で私にさっきのことを問い詰めてきた。
「俺は今日一日、繭理ちゃんとお出かけして楽しかったよ。また次も一緒に来たいって思ってた。」
「でも私たち、所詮はたまたまマッチングしただけの関係じゃん。次回の保証なんてないし」
「なら今から約束しようよ!明後日、明後日はどうだ?!」
「デートあるから無理〜」
「…それって、誰と?」
あーこれ、だるいやつじゃん。
「そんなに知りたい?知りたくても教えるほどの義理?なんてないんだけど〜」
「義理はなくても義務はあるんじゃないかい?」
「そんなめんどくさいことも一々考えてるなんて、篠くんってすごいねw」
「俺は真剣だ!」
「はいはいよく頑張りましたねー」
こいつは大きく息を吐き出す。
「…もういい。お前がどういう人間かよくわかった。」
「それはこちらこそ。こぉんな薄っぺらい関係に情を抱けるなんて、よっぽどおめでたい頭してんだね?」
そしてまたも盛大に、今度は舌打ちをした。
帰ろうかとも思ったけど今日は部活に顔を出しに行くことにした。軽音部。なんてったって、憧れてる先輩が受験期を目前にしつつも息抜きに遊びに来るって言ってたから。息抜きと言えども文化祭ライブに向けて結構ガチで練習してるし、あの人の演奏から勉強できることを今のうちに吸収しときたいのもある。
共有スペースのドアを開けたら向けられる視線をフル無視して先輩との定位置にまっすぐ向かう。まだ先輩はいない。
先に指を温めておこうと、1曲だけ弾いてみる。今生まれた音は列を成して僅かな間だけ響いて、次の音の列に舞台を譲って死んでいく。いつの間にか周りのざわめきが聞こえなくなっているほど、指先の感覚にのめり込んでいく。冷静に正確に、痛みを伴いながら、弦を弾く。
最後の一音を指先で叩き落とすように弾き終えたら、周りからは歓声があがった。その声の主は圧倒的に女子の方が多い。そいつらは次々に俺の前に来て一言だけ褒めては部屋を去っていく。
男子たちはと言うと、恨むように俺に視線を寄越してから負けじと一曲弾き始める。しかし聴衆は集まらない。そんな男子たちを羨ましいと思うのは我儘か。正当な評価を得たいと思うのは罪なのか。
けどそんな問いも、すぐどうでもよくなった。
「おつ〜やってんなぁ。てかお前の音さ、いつ聞いても死ぬほど俺のに似てんな?」
「お疲れ様です、先輩の音に似てるなんてもったいない表現使わないでくださいよ。俺なんて先輩に比べたらまだまだ未熟で…」
「あー、良い良いそーゆーんは。素直に褒められてろ。真似されて嬉しいって気持ちも少なからずあるんだから。」
牧村悠太先輩。俺が軽音に入る決め手になった人。彼の演奏技術は目を引くものがあり、この部の中でも異彩を放っている。それ故か先輩も孤立していて(俺と違って最低限話せる人はいるらしいが)、接近するのは難しくなかった。先輩は俺の熱意を知ってから気にかけてくれるようになって、時間が合えば演奏のアドバイスをしてくれる。
「先輩は今年、初めて文化祭ライブに出るんですよね。もう演奏曲決めたんですか?」
「まあな。いくらお前でも教えないけど。」
「それではぐらかして、結局決まらなくて辞退したのが去年でしたよね?」
「それは今関係ないだろ?!」
「今年こそちゃんと出てくださいよ?…俺の唯一の楽しみなんで。」
「きゃ〜っ、燈夜クンがデレた〜っ!かわい〜い!」
先輩は今までかっこよさを持て囃されてきた俺のことを、純粋な後輩としてかわいいと言ってくれる。こんな学校にも俺の中身を見て接してくれる人がいるのは嬉しかった。何日も共にすごしたクラスメートより、俺らより遥かに長く生きている先生より、時間が合う時しか話せない先輩の方が信頼できる。
「そうだ、お前住んでるのって正門出て右の方だよな?そんでチャリ通。」
「はい。どうかしました?」
「後輩のかわいさに免じて先輩からスペシャルプレゼント〜」
そう言って先輩はコンビニの割引券を渡してくれた。
「えっいいんですか?」
「俺ん家の方このコンビニないんだよな、お前ん家の方にならあるだろ?」
「たしかにそうですね。じゃ、ありがたく貰っときます。期限は…って、今日じゃないですか!」
「あっバレた」
「珍しいと思ったら…」
「今のは一言余計だぞ!」
今日は帰りにコンビニ寄ってこ。この雑さが今はいちばん心地いい。1つ違う年に生まれたのが悔しくなるくらい、先輩は本当に、良い人だ。
〇
「それで俺が、使われなくなったシステムを復活させることを提案したんだ。このおかげで人件費の爆発的な増大を防げたと言っても過言では無いだろう!」
「えー篠くんすごぉい!天才じゃんよそれは」
「なのに上層部ったらそれを評価してくれず…」
…こいつ、思ったよりめんどくさいやつだな。服見れるの楽しみとか言っときながら、1着買ったら飽きたのかレストランに連れてこられた。そこから3時間話を聞かされるばっか。
あーあ。こうなるなら明後日約束した奴と2回遊ぶ方がまだマシ。世界一無駄な3時間すぎんかこれ。
「繭理ちゃんは将来、上層部が腐ってる職場選ばないようにね?」
だっる。成功談も失敗談も教訓も、全部聞きたくないわ。将来への注意なんてクソ喰らえ。
「うん、めっちゃ勉強なったわw篠くん頼りになるね!」
「何か不安なことあればいつでも頼ってね」
「えー優しすぎん?!善意の化身かよぉ」
醜さの化身の方が似合ってるけどね笑
〇
そこから更に4時間も話を聞かされ、レストランの店員さんに注意されるまでこいつは話し続けた。私はそれを聞き流しながらパフェにオムライスにクレープまで食べちゃった。
レストランから出たらもう空は暗くなり始めてて、理由をこじつけて帰るにはちょうど良かった。けどこいつも思ったより頑固で、帰る前にコンビニだけ一緒に行くことになった。
いつもなら好きな夜道も、こんな奴と一緒にいるとどこか穢されてしまったように思える。歩いてる間もこいつは自分に酔った話しかしなかった。
途中で急に吸い出した煙草の煙がこの上なく臭かった。お高い銘柄を使ってるとか言ってたけどさぁ、未成年の私にどう反応しろって?
コンビニに着いたら今日のお礼に好きな物を買ってくれるって言うから、ちょっと高いコンビニスイーツを選んでやった。棚から目的の品を取って来て、かわいくしゃがんで同じカゴに入れる。カゴにはたくさんの缶ビールとチョコ菓子が入っている。
「そういえば写真、全然撮ってなかったね」
私がカゴから顔を上げたら、次の瞬間、シャッター音がした。もう遅かった。こいつは自分のスマホ画面をみながらニヤニヤしてる。
…あー、ちょっと嫌かも。アングルも趣味悪っ
「…ねぇ、それの許可、してないんだけど?」
「あぁ、すまない。たかが写真1枚なんだし、まあそこまで怒らないでくれ。悪かったね」
悪びれてなんてないだろ。口先で形だけ謝んな。
「いやいや、写真は消してくれない?アプリのステメでもお写真NGって書いてたし。」
「そうだったかい?でも思い出に1枚だけ、別にいいじゃん。今日仲良くなったんだしさ」
「仲良くなった?…ありえんすぎw」
「何だよ、それ」
「冷めた?なら写真消してよね」
こいつは不満そうながらも写真を消してくれた。そのまま無言でレジへ向かう。けど…
「これだけ、棚戻しといてください。」
私のスイーツだけ買わなかった。
「あっちょっと!」
「仲良くなってないなら繭理ちゃんにスイーツを買う義理なんてないだろう?」
そこからは2人とも黙ってお会計が終わるのを待った。
外に出てからこいつはあからさまに態度を変えて、でも仲直りしたそうに、きしょすぎる口調で私にさっきのことを問い詰めてきた。
「俺は今日一日、繭理ちゃんとお出かけして楽しかったよ。また次も一緒に来たいって思ってた。」
「でも私たち、所詮はたまたまマッチングしただけの関係じゃん。次回の保証なんてないし」
「なら今から約束しようよ!明後日、明後日はどうだ?!」
「デートあるから無理〜」
「…それって、誰と?」
あーこれ、だるいやつじゃん。
「そんなに知りたい?知りたくても教えるほどの義理?なんてないんだけど〜」
「義理はなくても義務はあるんじゃないかい?」
「そんなめんどくさいことも一々考えてるなんて、篠くんってすごいねw」
「俺は真剣だ!」
「はいはいよく頑張りましたねー」
こいつは大きく息を吐き出す。
「…もういい。お前がどういう人間かよくわかった。」
「それはこちらこそ。こぉんな薄っぺらい関係に情を抱けるなんて、よっぽどおめでたい頭してんだね?」
そしてまたも盛大に、今度は舌打ちをした。