小鳥の爪―寵姫は2番目の恋に落ちる―
第1話 最愛の夫を守るため(6/6)




 陽が沈み、宮廷に夜が訪れ始めていた。
 シャオレイはそわそわしながら、紫微殿でゼフォンの帰りを待っていた。

 郊祀は問題なく終わり、宮女や宦官《かんがん※》たちの態度にも変わりはない。だから、ゼフォンが生きているということは確かだ。 [※宮廷に仕える、去勢された男性]
 それでも、シャオレイ自身で確かめるまでは、信じることができなかった。

 シャオレイが身にまとっているのは、初めてゼフォンから贈られた衣だ。最愛の夫に今世で初めて会うのだから、シャオレイはとっておきの装いでいたかった。
 羽織った薄衣《うすぎぬ》からは肌がほんのり透け、腕には披帛《ひはく※》を巻いている。 [※薄くて長い飾り布]
 抹胸裙《まっきょうくん※》は体に沿ってなめらかに落ち、鮮やかなカナリア色が、油灯のあかりに映えていた。 [※肩紐のないロングワンピース]
 髪は高く結い上げられ、髷が二つあしらわれている。そこには、玉飾りとかんざしが咲いていた。
 髪の一部は三つ編みにされ、後ろでひとつに結ばれている。シャオレイが動くたびに、ゆらゆらと揺れていた。

「待たせたな」

 シャオレイの背後から、聞き慣れた懐かしい声がした。シャオレイは一瞬、息をのんだ。
 シャオレイがゆっくり振り向くと、そこには最愛の夫――ゼフォンがいた。

 ゼフォンは袖の広いゆったりとした薄手の上衣《じょうい》をまとっていた。光沢のある絹の黒地に、金の刺繍で龍が描いてある。
 金と革の冠には翠玉があしらわれ、皇帝たる姿を形作っていた。
 そしてゼフォンは、いつものように自信のある笑みを浮かべ、シャオレイの元へ歩いてきた。

 次の瞬間、シャオレイはゼフォンの胸に飛び込んでいた。
「生きてたのね……!!」
 シャオレイはゼフォンを強く抱きしめ、そのぬくもりを味わった。それからゼフォンの胸に耳を押し当て、衣越しに彼の鼓動を感じた。
(夢じゃない……夢じゃないのね……)
 前世の悪夢――瞬かなくなったゼフォンの瞳も、冷たくなった彼の指先も、今は遠い幻だった。

 ゼフォンは驚きながらも、くすくすと笑っていた。
「ああ、そんな恋の歌をこの前そなたが歌っていたな。死んだ男がよみがえって……」

 シャオレイは彼の頬を両手で包み、そっと口づけをした。彼女の目からは、涙がひとすじ流れていた。
「私、あなたのために強くなるわ」

 何も知らないゼフォンは「か弱い私を守っておくれ」と、英雄気取りの姫を笑った。それから、手巾でシャオレイの涙をぬぐった。

 軽口を叩く声がシャオレイには懐かしくて、胸を締めつけた。
(こんなに優しく笑う彼を、私は……失った)
 シャオレイは、ゼフォンの胸に顔をうずめる。
(ずっとこうしていたい。でも――。そんな時間はない)

「名残惜しいけど、今夜は失礼するわ……。
朝会えなかったから、寂しかったの。
――陛下も儀式でお疲れでしょうから、ゆっくりお休みください」

 ゼフォンは残念そうにほほ笑み、シャオレイの額の小鳥に口づけをして言った。
「そなたも養生するのだぞ」



 シャオレイは紫微殿を出ると、足早に瑶吟堂へと戻っていった。
(私はもう、愚かな小鳥ではいられない。爪を研いで、鷹になるのよ……!
奇跡に賭けてみるわ……!)
 彼女は誓いを新たにした。

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