私と御曹司の始まらない恋の一部始終

第14話 真犯人

朝、杏奈が登校すると、S組の廊下に杏奈の机があった。誰かが教室から運び出したのだ。
教室をのぞくと、桜月が男子生徒と一緒にクスクス笑っているのが見えた。
 フン、私はこんなことに屈したりしないんだから!

 でも今、杏奈はS組校舎と一般校舎をつなぐ渡り廊下横の中庭にいる。
 桜月に負けたくないと思うのに、こんなの何でもないと思うのに、体が教室に入るのを拒んだ。
授業はもう始まっている。行かなきゃと思うけど立ち上がれない。
杏奈は自分を勇気づけようと妹の響、弟の游を思い浮かべた。
杏奈の作る節約キャラ弁を持って秀礼学園初等部に通っている二人。
両親の事業の失敗も借金も失踪も知らない二人。
杏奈と違って裕福な佐藤家しか知らない二人。
あの可愛らしい二人のために私は三山家の御曹司の婚約者になって1億円の支度金をもらわなくちゃ。そう、三山君の……。
 あれ?
 なんで今、田鍋ケイイチロウの顔が浮かんだ?
 私が婚約したいのは三山財閥の御曹司の三山タイシ君なのに。なんでケイイチロウ君の顔が浮かぶの?
 私をかばってサンドバックを受け止めてくれたけど。
 怪我してるのに、私が無事か気にかけてくれたけど。
 怪我してるくせに格好つけて、弱々しい笑顔浮かべてたけど。
 いやいやいや、私はただ感謝して心配してる。それだけ!
 あーでも、私の作ったラーメンをすごくおいしそうに食べてくれたな……。
 杏奈は田鍋ケイイチロウのことを考えると心が温かくなるのを感じた。こんなとき、アイツが側にいてくれたら、元気が出るかもしれない……。
「杏奈」
「うわああ」
顔をあげたら本当に田鍋ケイイチロウがいた。
「なんで?!」
「それはこっちのセリフだ。なぜこんなところにいる?」
私だって知りたいよ、なんでこんなことになっちゃったのか。
「立て」
そんなこと言われたって。杏奈は逆に体を丸めた。
「ほら」
目の前にケイイチロウの手が差し出される。
なに? この手につかまれって? この手に……。
「自分で立てる」
でも杏奈は立つことができなかった。気持ちと体がうまくつながっていないようだ。
「ほら、つかまれ!」
仕方なく杏奈はケイイチロウの手をとった。そのままグイと引き寄せられる。ケイイチロウは杏奈の手を握ったまま歩き出した。
え、なんで? 手を放さないの? 
つないだ手が熱い。
多分顔も熱い。
どんどん歩いて行くケイイチロウについていくため、杏奈は小走りになる。
あれ、教室に行くんじゃないの? 私をどこに連れていくの?
「着いた」
音楽室の前で、ケイイチロウはようやく杏奈の手を放した。
「なんで音楽室?」
杏奈はケイイチロウの顔を見ずに聞く。顔が赤くなっているのを見られたくない。
「ここは防音だからだ」
え、どういう意味? 
杏奈の動揺が限界に達する直前、ケイイチロウがドアを開けた。
「連れてきたぞ」
そこには三山タイシ、ウタちゃん、桜月がいた。杏奈が今、一番会いたくない人たち。
思わず田鍋ケイイチロウの後ろに隠れてしまう。
「桜月、昨日の動画をもう一度見せてもらえないか」
「いいけど」
桜月が動画を再生する。杏奈の顔をした女子生徒が、ワイヤーに傷をつけている。
「何回見たって同じ。この子が細工したから事故が起きたのよ」
桜月が杏奈を蔑むような目でみた。
「私じゃない、これはフェイク!」
震える声で杏奈は精一杯反論した。
「フェイクって証明できる? できないでしょ?」
悔しいけど杏奈にはなすすべがない。でもこんなのってひどい。あんまりだ。
「一つだけ確認したいのですが」
三山君が口を開いた。
「佐藤さんは腕時計はされていますか?」
「……してないけど」
以前は、高校入学祝で両親に買ってもらった時計をしていたけど、両親が失踪してお金がなくなったので買取店に出してしまった。
「本当ですね?」
「嘘はついてないと思うわ。少なくとも私は杏奈ちゃんが時計をつけているのを見ていないもの」
ウタちゃんが証言してくれた。
「では、これは何だろうな?」
田鍋ケイイチロウが動画を一時停止して、拡大する。ワイヤーを傷つけている女子生徒の制服の袖口から腕時計がのぞいている。
「……私じゃない!」
顔は杏奈だけど、これは別の人間だ!
「うそ、時計つけてたんじゃないの?」
「つけてない」
桜月はしつこく杏奈を疑ってくる。
三山君がさらに動画を拡大する。
「この時計は、マリー・ウィンストンですね」
「しかも春にでたばかりの限定モデルだ。販売されたのは世界で100本のみ。日本では12本が売れたと聞いている」
田鍋ケイイチロウの説明に、ウタちゃんがハッとする。
「佐藤さんはこの腕時計をお持ちではないのですよね?」
「持ってないよ、そんなの」
「でもこのクラスに、同じ腕時計をつけている女子生徒がいる。そうだよな?」
杏奈は驚いてウタちゃんと桜月をみた。ウタちゃんがうつむいている。
「自分から名乗り出れば、俺は許すつもりだ」
田鍋ケイイチロウが静かに言った。
ウタちゃんがそっと顔をあげた。
「桜月……」
桜月は袖口を隠しながら、黙っている。
「何かの間違いよね? ちゃんと話して」
ウタちゃんが涙目になっている。
「知らない、私じゃない」
「桜月、隠している腕時計を見せてくれないか?」
「違う、これは……」
後ずさりした桜月と、杏奈の目があった。
「全部この子が悪いのよ! 私はただS組の秩序を取り戻したくて!」
「事故をわざと起こしたのか? 大けがしていた可能性があるんだぞ!」
田鍋君に強い口調で問われた桜月は、反論しようにも言葉にならず
「違う違うわああああ」
と叫ぶと音楽室を飛び出していった。
「待って!」
尋常じゃない様子に驚いたウタちゃんが追いかけて行く。
「私も様子をみてきます」
三山君も後を追う。
 桜月が真犯人だったなんて……。杏奈はショックと、疑いが晴れた安心感で全身の力がぬけ、へたりこみそうになった。
「大丈夫か」
田鍋ケイイチロウが杏奈を抱きかかえるように支える。
良かった。
私が田鍋君を怪我させたんじゃないとわかって、本当に良かった……。
「疑って悪かった。でももう大丈夫だ。ちなみに腕時計にきがつき、限定モデルと特定したのは俺だが、礼は言わなくていいから……おい、どうした?!」
 杏奈の目から大粒の涙がポロポロと溢れ出していた。
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