私と御曹司の始まらない恋の一部始終

第17話 御曹司と接近中?

「このセリフはもう少し間をあけたほうがいいでしょうか」
「そうね、ちょっと見つめ合ってみるのはどうかな」
主役が三山タイシに交代して杏奈はがぜんやる気になっていた。
フリマアプリで子供服を売りさばき、響と游のピアノの月謝は払うことができた。でもこの先、電気水道光熱費、携帯電話代、いままで親の口座から引き落とされていたものがどんどん請求書として送られてくるだろう。フリマアプリで売れるものは何でも売るとしても、あと2カ月少しで借金取りに五千万円払わなければ、家を奪われてしまうのだ。御曹司との婚約に必死になるのも仕方がない。
 劇本番では特殊メイクをほどこし、誰が演じているか顔はわからなくしてしまうが、練習は素顔のままだ。
今、杏奈は劇の稽古とはいえ三山君と見つめ合っている。
 しみじみ、端正な顔立ちだと思う。
 人は8秒間見つめ合うと恋に落ちるらしい。あと6秒、5秒、4……
「おい、セリフ忘れたのか?!」
田鍋ケイイチロウが大きな声を出したせいで、目がそれてしまった。
「これも演技なの!」
三山タイシの代わりに監督になった田鍋ケイイチロウが不服そうに睨んでいる。
「いったん休憩にしましょう」
ウタちゃんが言って、杏奈は三山タイシと一緒に舞台近くの椅子に腰かけた、
三山君は何かと杏奈のそばにいてくれ、話しかければ答えてくれる。けっこう親しくなったと思う。
でも恋してもらってるかというと、違う感じ。
なんていうか保護者のような感じ? 付き添ってもらっているような感覚なのだ。このままでは婚約にはたどりつけない。
 杏奈にとって必要なのは”勢い“だと思っている。盲目になるような熱に浮かされたような恋。そうでなくちゃ借金を抱え両親が行方不明の杏奈と婚約なんてありえない。
 そんなことを考えているとまたお腹が痛くなってくる。これってもしかして罪悪感? 
いや、悩んでる場合じゃない。今日は積極的に仕掛けてみよう。昨日ネットで「気になる男性をその気にさせるテクニック」を勉強してきたんだから。
「三山君、私、手相に凝ってるの。三山君のも見てもいい?」
「 Parm Reading ですか、佐藤さんは博識ですね」
杏奈は三山タイシの手を握ると「これが感情線で~」と手のひらをなぞっていく。
「ここが恋愛運なんだけどね……あれ? 素敵な出会いが最近あったんじゃない?」
杏奈は精一杯かわいい顔をして、三山タイシの顔をのぞきこんだ。自然と上目遣いになるのがポイントなんだと昨日学んだばかりだ。
「イギリスではここは金運を表すと言われていますが、日本の手相は違うのですね。実に興味深いです」
三山君に小手先のあざとさは通じないようだ。初めて会った時は見つめただけで顔を赤くしてたのに!あのときもっと積極的にいっとけばよかった。
 この時、杏奈はこれからの作戦を考えるのに必死で、S組の女子が杏奈に冷たい視線を送っていることに気が付かなかった。

 昼休み。
お金のない杏奈は劇の自主練をするといって、みんなのいないところでこっそり自分で作ってきたお握りを食べていた。そのあとでカフェテリアに行って、フリードリンクのジュースサーバーからメロンソーダを飲むのが最近の昼の定番だった。
 その日もメロンソーダをなみなみ注いで、ウタちゃんのグループが座るソファエリアに行くと、女子の様子がおかしかった。
杏奈を見ようとしないのだ。
ウタちゃんも気が付いたようで
「杏奈ちゃん、ここに座って!」
と自分の隣をあけてくれた。
「三山君も杏奈ちゃんも急にキャストになったから、劇のお稽古毎日大変でしょう」
三山君の名前が出て、他の女子がちらっと杏奈に視線を向けた。
なるほど。そういうことか。杏奈が三山タイシに接近しているのを快く思っていないのだ。
「でも二人が協力して頑張ってくれていて、私とても感謝しているのよ」
ウタちゃんは杏奈が三山君と一緒にいるのはあくまで学園祭のためとさりげなく擁護してくれているのだろう。
「学園祭が終わったら、クラスメートにはもう少し品よく接してほしいけど。ね?」
女子の一人が、手相をみる仕草をしながら杏奈を見た。
「そうね、でも学園祭が終わるころには今より仲良くなってるかも」
杏奈はここで下手に出ても意味がないと、あえて強気に出た。女子生徒たちは驚いて互いの目を合わせている。あいだに挟まれたウタちゃんも困ってしまっている。
 ウタちゃんには本当に申し訳ないけど、お金に困っていないお嬢さまたちにわかってもらえるはずがないことだ。
杏奈はプイッと目をそらしメロンソーダを飲んだ。
 午後の授業、お腹が痛かったのはきっと、メロンソーダを一気飲みしたからだろう。精神的なストレスじゃない、杏奈は自分に言い聞かせた。

 放課後、ウタちゃんに話しかけられた。
昼休みのことをたしなめられるのかと思ったが、ウタちゃんの発した言葉は意外なものだった。
「杏奈ちゃんはその……三山君に恋をしていらっしゃるの?」
もじもじ聞くウタちゃんが可愛くて、杏奈はドキドキしてしまう。
「もしそうなら、どうなの?」
「私、みんなから審判者なんて役目を与えられたけど、もし杏奈ちゃんが純粋に恋をしてらっしゃるなら、なにも言う権利はないと思っているの」
そうか、ウタちゃんは審判者にされて本当は困っていたのか。
でもウタちゃんを審判者にしたクラスの女子の気持ちもわかる。こんなに可愛くて性格もいいウタちゃんがライバルになったら勝ち目はない。だからみんなで共謀して中立の立場に追いやったのだろう。賢いやり方だ。
「でももし邪なお気持ちなら……ほら、桜月さんのような」
言いにくそうにウタちゃんが言う。
「桜月は邪な気持ちだったの?」
「ええ、桜月さんのお家は大きなホテルチェーンでしょう? 三山グループと提携したくて近づこうとしていたみたい」
知らなかった。お嬢さまにもそれなりに事情はあったというわけね。
「そうだったの。でも私は違う。純粋な気持ちなの」
ウタちゃんが、ハッとして、すっとうつむいた。でも顔をあげると、キラキラとどこかすがるような目で杏奈を見た。
「……それってやっぱり『恋だったよ』みたいな感じ?」
「ん?」
「ご存知ないの? 今とても流行っているのよ」
ウタちゃんはスマホで『恋だったよ』の動画を見せてくれた。それは「YUN」という歌い手が顔を出さずにピアノの弾き語りで歌うオリジナル曲だった。
「ここ、『いつも思い浮かべちゃう 視線の先に 心の中に 君ばかり』杏奈ちゃんもそう? 三山君のことばかり思い浮かぶ?」
「そ、そうね、そう」
「わあ……やっぱり恋なんだね。歌のとおりなのね。わかってよかった。ありがとう杏奈ちゃん」
ウタちゃんは自分の胸に手を当て、嬉しそうな、でも寂しそうな顔をした。
 え、待ってウタちゃん、もしかしてウタちゃんは恋をしているの? それは三山君なの?
杏奈は聞くことができなかった。
だって杏奈の三山君への気持ちは邪だったから。

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