私と御曹司の始まらない恋の一部始終
第18話 日下部雪華
もしもウタちゃんが三山君を好きだとしたら……その可能性に気が付くと、昨日とは違った景色が見えてくる。
授業中、休み時間、劇の練習中、ウタちゃんが三山君を見ていることに気が付いてしまった。杏奈は三山君と席も近いし、劇の練習中はいつも横にいるから、気になり始めるともう駄目だった。
ウタちゃんはすごく可愛くて性格もいい。こんな子がライバルになるなんて困る。
私は三山君の婚約者になって親の借金を返したい。
でもウタちゃんのピュアな恋心はどうなる?
考えれば考える程お腹が痛い。いつもよりずっと痛い。
杏奈は隣にいる三山君を見る。切れ長の目、端正な顔立ち、いつも丁寧な言葉遣いで落ち着いていて優しくて、非の打ちどころのない御曹司。
私だって三山君のことを純粋に素敵だなと思っている。
なのに。
「おい杏奈、手相が読めるらしいじゃないか。俺の手相はすごいぞ。天下取りの相と言われている」
田鍋ケイイチロウが手のひらをバーン!と突き出してきた。
「三日天下がいいところね」
「なんだと!」
田鍋ケイイチロウに話しかけられると、なんとなく華やいだ気持ちになるのはどうしてだろう。
「それより怪我は大丈夫なの?」
「怪我?」
「? 怪我をしたから主役を三山君と交代したんでしょ?」
「あーそうだ、まだ痛みがあるな、うん」
杏奈をかばってした怪我だ。まだ痛いと聞いて杏奈の胸がチクりと痛む。
「そう、気を付けて。無理しないでね」
「うむ」
田鍋ケイイチロウは執事の家系とは思えないほど横柄な感じだけど、頼りになるし、信じていい人……な気がするんだ……よな……。
ああ、なんか痛いを通り越して苦しい。
ここはお腹? もうちょっと上のあたり? 押しつぶさされるような感じ。
学園祭の本番がいよいよ明日に迫った。
「三山君、がんばろうね」
「そうですね。よろしくお願いします」
三山君との距離は近くなったけど一定以上は縮まらないままだ。
ウタちゃんが気にかかるってのもある。
でもそれより三山君本人の距離の取り方が絶妙で、クラスメートから友人に昇格はしてると思うけど、そこから先の恋人、婚約者には全然進めていない。
あーどうしよう。
その上もうひとつの懸念が。日下部雪華の不登校の解消だ。
学園祭が終われば約束の一か月。雪華が登校する意思を見せなければ杏奈のS組編入特例措置も終わってしまう。なのに肝心の雪華とはまだ一言もしゃべってすらいないのだ。
せめて学園祭に来てもらえれば……杏奈は最後のお願いに、高層ビル最上階の日下部家にやって来た。今日もこの家は和服のお手伝いさんがいるだけでひっそりとしていた。こんなところにずっといて、日下部さんは寂しくないのだろうか?
「日下部さーん」
ドアの向こうに呼びかけるが返事はない。
まあいつものことだから杏奈は学園祭が盛り上がりそうだと勝手に話してみることにした。
「主役のライオン役の男子はとっても品があってプリンスそのものなの。本番は特殊メイクで顔が見えないのがもったいないくらい。ねえ雪華さんも見に来ない?」
返事はない。物音すらしない。今日が最後の説得なのに。
もうここに来ることもないかもと思った杏奈は、投げやりな気持ちになって、素になって話し始めた。どうせ聞かれてないんだから!
「実は私、学園祭終わったらそのライオン役の人に告白しようか迷ってんだ。本当は向こうから告白されたかったけど、それはなさそうだし。ダメ元ってやつ? でも正直うまくいく気がしなくて……落ち込むよね」
告白してフラれたら何もかもおしまい。
御曹司との婚約で一発逆転にはならず、私はS組どころか秀礼学園を辞めるしかない。響と游にも学園を辞めてもらって、身の丈にあったアパートを探してその近くの公立校に通うんだ。私はそれでもいいけど、響と游は悲しむかな。ごめんね……。
ガチャ。鍵の開く音がした。
え、まさか……。
ドアが開いてショートカットの女の子が顔をのぞかせ、目をキラキラさせていた。
「今、恋バナしたよね? くわしく聞かせて」
もしかしてこの子が日下部雪華?
「で、杏奈はいつから彼を好きになったの? 瞬間みたいなのあった?」
初めて日下部雪華の部屋に通された。高層ビルのペントハウスからは眼下に東京の街がひろがり壮観な眺めだ。
「初めて会った時からカッコイイなと思ったかな」
「ふうん。でもさあルックスがいい男の子なんてけっこういるじゃない? 秀礼学園なんて金持ちの父親と美人な母親ってパターンが多いから、ぶっちゃけ顔面偏差値高めでしょ」
「ああなるほどね、たしかにみんな結構いけてる」
「彼の何が杏奈の心を奪ったのかなあ。きっかけとかない?」
杏奈は答えに詰まった。正直に言えばきっかけは杏奈の両親が借金をノン越して失踪したことで、婚約者を探している御曹司が転入して来ると聞いて接近したのだ。出会う前から別の意味で心惹かれていた……とはとても言えない。
「何かがあって、その時からなぜか彼の顔が浮かんだり、目で追っちゃったりするようになる。そういう場面のこと」
妹たちのピアノの月謝が払えなかった時も、電力会社から督促の通知が届いた時も、三山君の顔を思い浮かべて気合をいれたけど……
「うーん、辛いことがあったときに思い浮かべちゃったかも」
杏奈はぼかして答えた。
「へえ、そばにいてほしいとか、味方でいてほしいとか、そんな気持ち?」
「そーかも、うん」
「わかっちゃうかも。その人さえ信じてくれるならもう大丈夫、みたいなさ」
その瞬間、ふいに杏奈の心に浮かんだのは、杏奈を抱きとめた田鍋ケイイチロウだった。
あのとき彼は「もう大丈夫だ」と言った。その瞬間、杏奈の目から涙があふれたのだ。
私、あのとき、安心したんだ……。
「やだ杏奈ったら、今、彼のこと考えてたでしょ?」
「ちがうちがう、そんなことないって」
杏奈は否定したけど、日下部雪華は
「いいのいいの、恋ってそういうものだから」
と笑っている。
恋? わたしが田鍋ケイイチロウに?
そんなことありえない。
だってアイツはガサツで横柄で目立ちたがりで。
スコーンの食べ方もキザったらしくて、けど洗練されていて。
でも私が作ったラーメンはおいしそうに豪快に食べてくれる奴で。
後先考えずに行動する奴で。
そのせいで私をかばって怪我までしちゃって。
目立ちたがりなのに主役ができなくなっちゃって。
馬鹿すぎる。本当に。
そうだ、これは同情だ。
胸が苦しいのは、私が田鍋君に罪悪感を感じているせい。
恋なんかじゃない。絶対に。
授業中、休み時間、劇の練習中、ウタちゃんが三山君を見ていることに気が付いてしまった。杏奈は三山君と席も近いし、劇の練習中はいつも横にいるから、気になり始めるともう駄目だった。
ウタちゃんはすごく可愛くて性格もいい。こんな子がライバルになるなんて困る。
私は三山君の婚約者になって親の借金を返したい。
でもウタちゃんのピュアな恋心はどうなる?
考えれば考える程お腹が痛い。いつもよりずっと痛い。
杏奈は隣にいる三山君を見る。切れ長の目、端正な顔立ち、いつも丁寧な言葉遣いで落ち着いていて優しくて、非の打ちどころのない御曹司。
私だって三山君のことを純粋に素敵だなと思っている。
なのに。
「おい杏奈、手相が読めるらしいじゃないか。俺の手相はすごいぞ。天下取りの相と言われている」
田鍋ケイイチロウが手のひらをバーン!と突き出してきた。
「三日天下がいいところね」
「なんだと!」
田鍋ケイイチロウに話しかけられると、なんとなく華やいだ気持ちになるのはどうしてだろう。
「それより怪我は大丈夫なの?」
「怪我?」
「? 怪我をしたから主役を三山君と交代したんでしょ?」
「あーそうだ、まだ痛みがあるな、うん」
杏奈をかばってした怪我だ。まだ痛いと聞いて杏奈の胸がチクりと痛む。
「そう、気を付けて。無理しないでね」
「うむ」
田鍋ケイイチロウは執事の家系とは思えないほど横柄な感じだけど、頼りになるし、信じていい人……な気がするんだ……よな……。
ああ、なんか痛いを通り越して苦しい。
ここはお腹? もうちょっと上のあたり? 押しつぶさされるような感じ。
学園祭の本番がいよいよ明日に迫った。
「三山君、がんばろうね」
「そうですね。よろしくお願いします」
三山君との距離は近くなったけど一定以上は縮まらないままだ。
ウタちゃんが気にかかるってのもある。
でもそれより三山君本人の距離の取り方が絶妙で、クラスメートから友人に昇格はしてると思うけど、そこから先の恋人、婚約者には全然進めていない。
あーどうしよう。
その上もうひとつの懸念が。日下部雪華の不登校の解消だ。
学園祭が終われば約束の一か月。雪華が登校する意思を見せなければ杏奈のS組編入特例措置も終わってしまう。なのに肝心の雪華とはまだ一言もしゃべってすらいないのだ。
せめて学園祭に来てもらえれば……杏奈は最後のお願いに、高層ビル最上階の日下部家にやって来た。今日もこの家は和服のお手伝いさんがいるだけでひっそりとしていた。こんなところにずっといて、日下部さんは寂しくないのだろうか?
「日下部さーん」
ドアの向こうに呼びかけるが返事はない。
まあいつものことだから杏奈は学園祭が盛り上がりそうだと勝手に話してみることにした。
「主役のライオン役の男子はとっても品があってプリンスそのものなの。本番は特殊メイクで顔が見えないのがもったいないくらい。ねえ雪華さんも見に来ない?」
返事はない。物音すらしない。今日が最後の説得なのに。
もうここに来ることもないかもと思った杏奈は、投げやりな気持ちになって、素になって話し始めた。どうせ聞かれてないんだから!
「実は私、学園祭終わったらそのライオン役の人に告白しようか迷ってんだ。本当は向こうから告白されたかったけど、それはなさそうだし。ダメ元ってやつ? でも正直うまくいく気がしなくて……落ち込むよね」
告白してフラれたら何もかもおしまい。
御曹司との婚約で一発逆転にはならず、私はS組どころか秀礼学園を辞めるしかない。響と游にも学園を辞めてもらって、身の丈にあったアパートを探してその近くの公立校に通うんだ。私はそれでもいいけど、響と游は悲しむかな。ごめんね……。
ガチャ。鍵の開く音がした。
え、まさか……。
ドアが開いてショートカットの女の子が顔をのぞかせ、目をキラキラさせていた。
「今、恋バナしたよね? くわしく聞かせて」
もしかしてこの子が日下部雪華?
「で、杏奈はいつから彼を好きになったの? 瞬間みたいなのあった?」
初めて日下部雪華の部屋に通された。高層ビルのペントハウスからは眼下に東京の街がひろがり壮観な眺めだ。
「初めて会った時からカッコイイなと思ったかな」
「ふうん。でもさあルックスがいい男の子なんてけっこういるじゃない? 秀礼学園なんて金持ちの父親と美人な母親ってパターンが多いから、ぶっちゃけ顔面偏差値高めでしょ」
「ああなるほどね、たしかにみんな結構いけてる」
「彼の何が杏奈の心を奪ったのかなあ。きっかけとかない?」
杏奈は答えに詰まった。正直に言えばきっかけは杏奈の両親が借金をノン越して失踪したことで、婚約者を探している御曹司が転入して来ると聞いて接近したのだ。出会う前から別の意味で心惹かれていた……とはとても言えない。
「何かがあって、その時からなぜか彼の顔が浮かんだり、目で追っちゃったりするようになる。そういう場面のこと」
妹たちのピアノの月謝が払えなかった時も、電力会社から督促の通知が届いた時も、三山君の顔を思い浮かべて気合をいれたけど……
「うーん、辛いことがあったときに思い浮かべちゃったかも」
杏奈はぼかして答えた。
「へえ、そばにいてほしいとか、味方でいてほしいとか、そんな気持ち?」
「そーかも、うん」
「わかっちゃうかも。その人さえ信じてくれるならもう大丈夫、みたいなさ」
その瞬間、ふいに杏奈の心に浮かんだのは、杏奈を抱きとめた田鍋ケイイチロウだった。
あのとき彼は「もう大丈夫だ」と言った。その瞬間、杏奈の目から涙があふれたのだ。
私、あのとき、安心したんだ……。
「やだ杏奈ったら、今、彼のこと考えてたでしょ?」
「ちがうちがう、そんなことないって」
杏奈は否定したけど、日下部雪華は
「いいのいいの、恋ってそういうものだから」
と笑っている。
恋? わたしが田鍋ケイイチロウに?
そんなことありえない。
だってアイツはガサツで横柄で目立ちたがりで。
スコーンの食べ方もキザったらしくて、けど洗練されていて。
でも私が作ったラーメンはおいしそうに豪快に食べてくれる奴で。
後先考えずに行動する奴で。
そのせいで私をかばって怪我までしちゃって。
目立ちたがりなのに主役ができなくなっちゃって。
馬鹿すぎる。本当に。
そうだ、これは同情だ。
胸が苦しいのは、私が田鍋君に罪悪感を感じているせい。
恋なんかじゃない。絶対に。