私と御曹司の始まらない恋の一部始終
第20話 杏奈の提案
三山大紫は鏡に映った自分の姿に満足していた。
「とびだせライオンキングダム」の主役・ライオンプリンスの衣装は日本を代表する劇団から本物を借りてきたし、特殊メイクも完璧だ。
「大紫様にはやはり華がございますね」
圭一郎もべた褒めだ。
今日の本番までは、圭一郎が三山タイシとして主役代役となり佐藤杏奈のそばにいたおかげで、杏奈を狙う嫌がらせは収まっていたようである。三山財閥の名前もつかいようだなと思った大紫だった。
しかし本番の舞台に立つのはやはり自分しかいない。
大紫はロンドンのパブリックスクール時代も朗読劇に参加したり、クリスマスのチャリティーでイエス・キリストの降誕劇に参加してきた。それも良い体験であったが、一度このようなエンターテイメント性の強い演劇をやってみたかったのである。
秀礼学園では自分を「田鍋ケイイチロウ」と偽っていることもたいへんに都合がよかった。大紫の父は厳格な男で、三山家の人間が表舞台に立つことを嫌っているから、もし大紫が主役に立候補したと知ったら悲しい顔をしながら辞退するよう勧めてくるはずだ。だが執事の田鍋圭一郎が主役をしても文句は言えないだろう。大紫は「田鍋ケイイチロウ」として好きなように学園生活を謳歌できることに満足していた。
「もうすぐ幕があきます。わたくしが最高の光を大紫様にお当てしますから!」
圭一郎に促され、大紫は舞台袖へ移動した。
トラブルはすぐに起きた。
舞台上で小鹿役の杏奈が硬直したのだ。
もともと杏奈も城之内桜月の代役だったから、演劇には不慣れなのかもしれない。せめて杏奈にだけは本番は自分が出ると言っておけばよかったか?と考えたが過ぎたことを考えても仕方がない。 Show must go on. 舞台はもう始まっているのだ。大紫は機転をきかせ乗り切った。
そして迎えたクライマックス。
ライオンと小鹿の数奇な運命が明らかになり、互いにしばし見つめ合うのだ。
練習の時、杏奈はここで長めの間をとったほうがいいと言っていたと思い出した大紫は、じっと小鹿(杏奈)を見つめた。小鹿の瞳が揺れている。なかなかの演技だと思いながらライオンの大紫もさらに小鹿を見つめ返した。
見つめながら、小鹿は弱さの象徴ではなく美しさの象徴ではないかと大紫は思った。この瞳からもう涙がこぼれなければいい。涙もまた弱さの象徴ではないけれども。
そんなことを思いながら小鹿の瞳に魅入っていた大紫だったが、さすがに長く見つめ過ぎたと気が付いた。
どうする? 一番の見せ場を壊さず、この失敗を演出に変えるには? そうだ!
大紫は小鹿を抱きしめた。
「食べるなんてできない!」
よし、感極まった感じが出たな。さあ次は小鹿のセリフだ。
ん……? アドリブについてこれないのか? 仕方ない。
「たとえ国を救えるとしても、僕は君を食べるなんてできない。君は僕の親友だから!」
小鹿が言うべきセリフを足してアドリブで台詞を言う。このシーンで見せるべきものは見せたぞ!
完璧なタイミングで照明が消え、暗転した。圭一郎の仕事だろう。さすがよくわかっている。
舞台袖に捌けたら杏奈が何やら文句を言ったが、舞台は生きものなのだ。圭一郎が三山タイシとして練習していたときよりも今日の方が格段によくなっていたはずだ。
さあここから一気にフィナーレだ!
大紫の思った通り、劇は大きな拍手で幕を閉じた。
カーテンコールに出た大紫は、互いの健闘を称え杏奈の手をとって観客にお辞儀をした。英国時代の降誕劇でもそのようにしていたからだ。
だが手を取ってから気が付いた。杏奈の手は細くて柔らかい。頭ではただのクラスメート、男女など関係ないと思うようにしていたが、これは女の子の手だ。思った瞬間、大紫の手は熱くなった。
三山大紫とあろうものが、こんなことで動揺してはいけない。
幕が下りると大紫は杏奈を見ずにさっと手を放し、他のキャストをねぎらった。圭一郎もやってきて「素晴らしい出来でした!」と賞賛してくれ、大紫は深く満足した。今日は良き一日となった。家に帰ったら圭一郎ととっておきの紅茶を飲もう。
だが……圭一郎に声をかけようとすると、スマホを見ながら青ざめている。
「どうかしたか?」
「大変です、大紫様のお母上が学園に向かっているそうです」
「なんだと?!」
圭一郎のスマホを見ると、母から絵文字だらけのメールが来ていた。<>内は絵文字表記である。
「圭一郎ちゃんが主役<キラキラ>をやると副校長が教えてくれたの。<らいおん><王冠>ですってね! 圭一郎ちゃんなら見栄えするでしょうね<ハート>絶対に見たいけれど大切な会食があってお芝居には間に合いそうにないの<ぴえん>せめて衣装をつけた圭一郎ちゃんと<カメラ>とりたいから私が域まで待っていてくれないかしら 5時ごろ伺うわ<車>」
大紫は沈黙した。
昔から母は圭一郎を可愛がっていたが、こんなメールを送っているのか。
「すまない……」
大紫は圭一郎に謝罪した。
「とんでもございません。副校長がお母上に連絡すると想定していなかった私のミスです。それよりも急いで準備しなくては、大紫様がわたくしの名を名乗って学園生活を送られていることがバレてしまいます」
大紫はハッとして自分の姿を見た。この衣装とメイクを圭一郎にさせねばならない。時間をみると5時まであと20分たらずだった。
「大紫様は医務室でお待ちください。わたくしも諸所の手配を終えたらすぐに向かいます」
「わかった、待っている」
学園の生徒たちは校内スピーカーから聞こえてくる声に騒いでいて、大紫はライオンの衣装のままだったが、騒がれることなく移動ができた。
S組の意味室には、ベッドと洗面を備えた個室タイプの部屋が3部屋あった。大紫はその一つに入ると着ていた衣装を脱ぎ、上半身裸になる。洗面で顔も洗っておいた。校内スピーカーで流れていた誰かの歌声も、医務室では聞こえないようだ。
圭一郎が走り込むようにやってきた。
「失礼します」
ノックもせずに入って来たのだからよほど慌てているのだろう。
「圭一郎、その服を脱いで俺と交換しろ」
「その前に大紫様のつけ毛を取らなければ」
大紫は圭一郎の着ていたクラスTシャツを脱がせようとした。が、同時に圭一郎が大紫の髪に手を伸ばし、大紫のつけ毛を外そうとした。
それがよくなかった。圭一郎のTシャツを脱がせたはいいが、圭一郎がバランスを崩して倒れ込んだのだ。
「大丈夫?!」
声がしたので見ると、佐藤杏奈がドアの前に立っていた。
「え?!」
目を見開いたままで硬直している。
どうして佐藤杏奈がここに?
大紫は起き上がり圭一郎のTシャツを着た。
「ここは医務室だ、出て行ってくれないか」
杏奈が大紫と圭一郎を交互に見ている。
「おい杏奈、聞こえなかったか」
「……そういうことだったのね、わかった」
「わかってくれたか。では」
「提案があるの」
「また今度聞こう」
「今聞いて。私には時間がないの」
いや、時間がないのは俺のほうなのだ。
「二人の関係はもうわかったわ、大丈夫、言わなくていいよ。今は言わせることもハラスメントの一つだしね」
杏奈はなんの話をしているのだろう。俺は圭一郎を見た。圭一郎も俺を見ていた。
「多様性の時代なんていうけど、ほんとのところはまだまだ。だから二人もここで隠れて会ったりして、苦労しているのよね? 大丈夫、わたし誰にも言ったりしないから」
ますます話が見えなくなってきた。
「でも三山君は婚約者を探さなくちゃいけないのよね? もちろん、女性の」
杏奈は圭一郎を見て言った。
「私、不思議だったのよ。三山君が私の事、あんまり意識してくれないから」
それは佐藤杏奈が圭一郎の好みではないということではないのか?
「でも今、理由がわかってなんだかホッとしてる。三山君も本当は悩んでいたんじゃない? 御家の決まりに逆らうのは大変そうだものね」
「おい杏奈、用件を早く言え」
大紫はだんだんイライラしてきた。この意味不明のやりとりを早く終わらせたい。
「だから、あの、私を婚約者にしてみない?」
「はあ?」
思わず声が出てしまった。
「落ち着いて田鍋君」
杏奈が大紫を見てなだめるように言った。
「私は三山君の表向きの婚約者であれば十分なの。二人の邪魔をする気はない、どう? いい考えじゃない?」
いったい何を言っているのだ杏奈は。大紫は再び圭一郎を見た。
「わかりました。考えてみましょう」
わかった? おい圭一郎、ここまでの会話でいったい何がわかったのだ? 俺は全く話が飲み込めないのだが?
三山大紫は状況がつかめないまま、母親が来たら困ると時間のことが気になっていた。
「とびだせライオンキングダム」の主役・ライオンプリンスの衣装は日本を代表する劇団から本物を借りてきたし、特殊メイクも完璧だ。
「大紫様にはやはり華がございますね」
圭一郎もべた褒めだ。
今日の本番までは、圭一郎が三山タイシとして主役代役となり佐藤杏奈のそばにいたおかげで、杏奈を狙う嫌がらせは収まっていたようである。三山財閥の名前もつかいようだなと思った大紫だった。
しかし本番の舞台に立つのはやはり自分しかいない。
大紫はロンドンのパブリックスクール時代も朗読劇に参加したり、クリスマスのチャリティーでイエス・キリストの降誕劇に参加してきた。それも良い体験であったが、一度このようなエンターテイメント性の強い演劇をやってみたかったのである。
秀礼学園では自分を「田鍋ケイイチロウ」と偽っていることもたいへんに都合がよかった。大紫の父は厳格な男で、三山家の人間が表舞台に立つことを嫌っているから、もし大紫が主役に立候補したと知ったら悲しい顔をしながら辞退するよう勧めてくるはずだ。だが執事の田鍋圭一郎が主役をしても文句は言えないだろう。大紫は「田鍋ケイイチロウ」として好きなように学園生活を謳歌できることに満足していた。
「もうすぐ幕があきます。わたくしが最高の光を大紫様にお当てしますから!」
圭一郎に促され、大紫は舞台袖へ移動した。
トラブルはすぐに起きた。
舞台上で小鹿役の杏奈が硬直したのだ。
もともと杏奈も城之内桜月の代役だったから、演劇には不慣れなのかもしれない。せめて杏奈にだけは本番は自分が出ると言っておけばよかったか?と考えたが過ぎたことを考えても仕方がない。 Show must go on. 舞台はもう始まっているのだ。大紫は機転をきかせ乗り切った。
そして迎えたクライマックス。
ライオンと小鹿の数奇な運命が明らかになり、互いにしばし見つめ合うのだ。
練習の時、杏奈はここで長めの間をとったほうがいいと言っていたと思い出した大紫は、じっと小鹿(杏奈)を見つめた。小鹿の瞳が揺れている。なかなかの演技だと思いながらライオンの大紫もさらに小鹿を見つめ返した。
見つめながら、小鹿は弱さの象徴ではなく美しさの象徴ではないかと大紫は思った。この瞳からもう涙がこぼれなければいい。涙もまた弱さの象徴ではないけれども。
そんなことを思いながら小鹿の瞳に魅入っていた大紫だったが、さすがに長く見つめ過ぎたと気が付いた。
どうする? 一番の見せ場を壊さず、この失敗を演出に変えるには? そうだ!
大紫は小鹿を抱きしめた。
「食べるなんてできない!」
よし、感極まった感じが出たな。さあ次は小鹿のセリフだ。
ん……? アドリブについてこれないのか? 仕方ない。
「たとえ国を救えるとしても、僕は君を食べるなんてできない。君は僕の親友だから!」
小鹿が言うべきセリフを足してアドリブで台詞を言う。このシーンで見せるべきものは見せたぞ!
完璧なタイミングで照明が消え、暗転した。圭一郎の仕事だろう。さすがよくわかっている。
舞台袖に捌けたら杏奈が何やら文句を言ったが、舞台は生きものなのだ。圭一郎が三山タイシとして練習していたときよりも今日の方が格段によくなっていたはずだ。
さあここから一気にフィナーレだ!
大紫の思った通り、劇は大きな拍手で幕を閉じた。
カーテンコールに出た大紫は、互いの健闘を称え杏奈の手をとって観客にお辞儀をした。英国時代の降誕劇でもそのようにしていたからだ。
だが手を取ってから気が付いた。杏奈の手は細くて柔らかい。頭ではただのクラスメート、男女など関係ないと思うようにしていたが、これは女の子の手だ。思った瞬間、大紫の手は熱くなった。
三山大紫とあろうものが、こんなことで動揺してはいけない。
幕が下りると大紫は杏奈を見ずにさっと手を放し、他のキャストをねぎらった。圭一郎もやってきて「素晴らしい出来でした!」と賞賛してくれ、大紫は深く満足した。今日は良き一日となった。家に帰ったら圭一郎ととっておきの紅茶を飲もう。
だが……圭一郎に声をかけようとすると、スマホを見ながら青ざめている。
「どうかしたか?」
「大変です、大紫様のお母上が学園に向かっているそうです」
「なんだと?!」
圭一郎のスマホを見ると、母から絵文字だらけのメールが来ていた。<>内は絵文字表記である。
「圭一郎ちゃんが主役<キラキラ>をやると副校長が教えてくれたの。<らいおん><王冠>ですってね! 圭一郎ちゃんなら見栄えするでしょうね<ハート>絶対に見たいけれど大切な会食があってお芝居には間に合いそうにないの<ぴえん>せめて衣装をつけた圭一郎ちゃんと<カメラ>とりたいから私が域まで待っていてくれないかしら 5時ごろ伺うわ<車>」
大紫は沈黙した。
昔から母は圭一郎を可愛がっていたが、こんなメールを送っているのか。
「すまない……」
大紫は圭一郎に謝罪した。
「とんでもございません。副校長がお母上に連絡すると想定していなかった私のミスです。それよりも急いで準備しなくては、大紫様がわたくしの名を名乗って学園生活を送られていることがバレてしまいます」
大紫はハッとして自分の姿を見た。この衣装とメイクを圭一郎にさせねばならない。時間をみると5時まであと20分たらずだった。
「大紫様は医務室でお待ちください。わたくしも諸所の手配を終えたらすぐに向かいます」
「わかった、待っている」
学園の生徒たちは校内スピーカーから聞こえてくる声に騒いでいて、大紫はライオンの衣装のままだったが、騒がれることなく移動ができた。
S組の意味室には、ベッドと洗面を備えた個室タイプの部屋が3部屋あった。大紫はその一つに入ると着ていた衣装を脱ぎ、上半身裸になる。洗面で顔も洗っておいた。校内スピーカーで流れていた誰かの歌声も、医務室では聞こえないようだ。
圭一郎が走り込むようにやってきた。
「失礼します」
ノックもせずに入って来たのだからよほど慌てているのだろう。
「圭一郎、その服を脱いで俺と交換しろ」
「その前に大紫様のつけ毛を取らなければ」
大紫は圭一郎の着ていたクラスTシャツを脱がせようとした。が、同時に圭一郎が大紫の髪に手を伸ばし、大紫のつけ毛を外そうとした。
それがよくなかった。圭一郎のTシャツを脱がせたはいいが、圭一郎がバランスを崩して倒れ込んだのだ。
「大丈夫?!」
声がしたので見ると、佐藤杏奈がドアの前に立っていた。
「え?!」
目を見開いたままで硬直している。
どうして佐藤杏奈がここに?
大紫は起き上がり圭一郎のTシャツを着た。
「ここは医務室だ、出て行ってくれないか」
杏奈が大紫と圭一郎を交互に見ている。
「おい杏奈、聞こえなかったか」
「……そういうことだったのね、わかった」
「わかってくれたか。では」
「提案があるの」
「また今度聞こう」
「今聞いて。私には時間がないの」
いや、時間がないのは俺のほうなのだ。
「二人の関係はもうわかったわ、大丈夫、言わなくていいよ。今は言わせることもハラスメントの一つだしね」
杏奈はなんの話をしているのだろう。俺は圭一郎を見た。圭一郎も俺を見ていた。
「多様性の時代なんていうけど、ほんとのところはまだまだ。だから二人もここで隠れて会ったりして、苦労しているのよね? 大丈夫、わたし誰にも言ったりしないから」
ますます話が見えなくなってきた。
「でも三山君は婚約者を探さなくちゃいけないのよね? もちろん、女性の」
杏奈は圭一郎を見て言った。
「私、不思議だったのよ。三山君が私の事、あんまり意識してくれないから」
それは佐藤杏奈が圭一郎の好みではないということではないのか?
「でも今、理由がわかってなんだかホッとしてる。三山君も本当は悩んでいたんじゃない? 御家の決まりに逆らうのは大変そうだものね」
「おい杏奈、用件を早く言え」
大紫はだんだんイライラしてきた。この意味不明のやりとりを早く終わらせたい。
「だから、あの、私を婚約者にしてみない?」
「はあ?」
思わず声が出てしまった。
「落ち着いて田鍋君」
杏奈が大紫を見てなだめるように言った。
「私は三山君の表向きの婚約者であれば十分なの。二人の邪魔をする気はない、どう? いい考えじゃない?」
いったい何を言っているのだ杏奈は。大紫は再び圭一郎を見た。
「わかりました。考えてみましょう」
わかった? おい圭一郎、ここまでの会話でいったい何がわかったのだ? 俺は全く話が飲み込めないのだが?
三山大紫は状況がつかめないまま、母親が来たら困ると時間のことが気になっていた。