私と御曹司の始まらない恋の一部始終

第29話 犯人

杏奈は、田鍋ケイイチロウの言葉の意味がしばらくわからなかった。
門倉先生が貼り紙を貼った……?
「な、なにを言ってるんだ。私はそんなもの知らない、見たこともない」
「だが触ったことはあるはずだ」
「今朝すぐにこの紙を信頼できる人物にお預けし、紙についている指紋の分析をしていただいたのです」
「S組の生徒たちが剥がすのを手伝ってくれたゆえ、紙にはいくつかの指紋が残っていた。もちろん俺たちの指紋もだ。だが面白いことにすべての紙に同一の指紋がついていたことが判明した。その人物こそが、この紙を教室中に貼った犯人だ」
田鍋君がまっすぐに門倉先生を見た。
「き、君は、その指紋が私のだと言いたいのか? 馬鹿な。学園の生徒・職員全員の指紋をとって照合したわけでもあるまいし、憶測で言うのはやめたまえ」
「憶測ではない、聞き取り調査をして可能性の高い人物を絞った上での結果だ」
「今朝、教室に一番早く入ったのは我々二人でした」
「そのとき教室にはなにも貼られていなかった。それから俺たちは学園祭の報告会に出席するために職員室へ行った。その途中で登校してきた詩子に会っている」
「善財さんに伺ったところ、善財さんが教室に入ったときも誰もいなかった。そうでしたね?」
「ええ、いませんでした」
「貼り紙もなかったんだな」
「ええ」
「詩子が教室に荷物をおいて職員室へ向かったのが7時15分。そして次に登校してきたのは真壁瑛太と桂木彩芽の二人、この二人が貼り紙を発見した。時間はおおよそ7時45分。」
「真壁さんと桂木さんはそれぞれ車で登校し、車寄せで待ち合わせて教室にやってきています。守衛の方が車のナンバーおよび来校時間を記録しておりますし、防犯カメラでも確認できます」
「つまり犯人は7時15分から45分の間に教室に入った人物。そして生徒ではない」
「S組の生徒の来校時間はすべて確認しましたので、間違いありません」
生徒ではない? 杏奈は半分だけホッとした。クラスの誰かがやったのだとしたら、明日から登校するのも辛いと思っていた。でも、生徒でないならば、そしてさっき田鍋君が言っていたことの意味を考えるならば……それはもっと悪いことなのではないか?
「門倉先生、あなたは担任にもかかわらず、今朝の報告会に遅れて参加している」
「だからなんだというんだ! 遅れたのは別の用事があったからだ」
「先生が報告会に参加されたのは7時45分ごろでした。そのときタブレットで隠していらっしゃいましたが、セロテープが見えたので私は不思議に思っておりました。別の用事というのはセロテープをお使いになるようなものだったのでしょうか」
三山君の問いに、門倉先生はどう答えようか必死に思案しているように見える。
「例えばこの紙を貼るために使ったか」
田鍋君がたたみかけた。
「答える義務はない! セロテープは別の用事で必要だった。以上だ」
門倉先生が顔を赤くして怒っている。
三山君がため息をついた。
「大変申し訳ありませんが、先生からお渡し頂いたこちらのプリントから先生の指紋を採取させていただきました」
「同じ指紋が杏奈を中傷する貼り紙すべてについていた。こんな紙は知らない、見たこともない言っていたが、それは明らかに嘘だ」
門倉先生が黙ってうつむいた。だがその目はギラギラとしていた。
本当に先生が私に嫌がらせを? 杏奈のほうがよっぽど痛めつけられ弱った生きものになったようだった。
「それから以前、城之内桜月さんのスマホに動画が送られてきたことがありました。送信者をようやく特定することができたのですが……」
三山君が門倉先生に冷たい視線を向ける。
桜月に送られた動画?! あのフェイク動画?! まさかあれも先生が?
杏奈は信じがたい気持ちで門倉先生の返答を待った。
門倉先生が顔をあげてニヤッと笑った。
「だったら何だ? すべて君のためにしたことじゃないか」
先生は三山君を見た。
「私のため?」
「そうだ、君がイギリスから本校に転入してきたのは婚約者探しのためなんだろう? 君にふさわしくない下等な生徒を担任の私が排除するのは当然だろう?」
「杏奈は下等などではない!」
田鍋君が門倉先生をにらみつけた。膝の上で握りしめた拳が怒りで震えている。
三山君がたしなめるように田鍋君の拳にそっと手をのせると
「彼女がS組に編入したのは副校長も承認したものです。それにもともと秀礼学園に入学を許されたということは彼女にその資格と資質があったからでは?」
「フン、だが今は親もいなければ借金まみれだそうじゃないか」
「それは杏奈には関係ないことだ!」
田鍋君の怒りは収まらない。
「事業をしていれば一時的な浮き沈みがあって当然です。あなたも教師なら、かような時こそ生徒を支えてしかるべきだと思いますね」
三山君は落ち着いているが、発言の内容はより辛辣だった。
「教師が生徒に嫌がらせ行為をしたことは、三山家を通して理事長に報告させてもらう」
田鍋君がはっきり言うと、はじめて門倉先生が狼狽した。
機を見逃さず、三山君が提案する。
「今この場で佐藤さんに謝罪し、二度とこのようなことはしないとお約束いただけるなら、今回だけは私共の胸にしまっておくこともできますが……」
「いや、まずは杏奈がそれで納得できるかが先だ。杏奈はどうしてほしい?」
「私は……」
悔しいし悲しいけど、私が無理やりS組に入り込んだのは事実だし、借金も親の失踪も事実だ。そんな状況をかえたくて三山家の御曹司に近づいた。門倉先生がそれに気づいて遠ざけようとしたのも教師としての判断だったのかもしれない。
そう思うと杏奈は強く出ることはできなかった。
「謝ってほしいとは思ってません。ただ、もうこういうことはしないでください。貼り紙なんてどうでもいいんです、事実だし、私が嫌な思いをするだけだから。でも」
杏奈は門倉先生をしっかりと見ながら続けた。
「もしあのフェイク動画も先生がやったのだとしたら……先生は桜月がワイヤーを傷つけている様子を動画でとっていたのに、放置していたってことですよね? そのせいで事故が起きて、田鍋君は怪我をしました。そのことは田鍋君に謝ってほしいです」
「杏奈……」
田鍋君が杏奈を見た。杏奈も田鍋ケイイチロウを見た。
「たしかに。先ほど先生は私のためにとおっしゃいましたが、当家の執事が怪我をすることを容認したのは問題です」
三山タイシが門倉先生を冷たい目で見据えた。
「……申し訳なかった」
門倉先生が、のどの奥の方からくぐもった声をだす。
「だがこのような女子が君に近づくことは」
「もう結構です」
三山君がすべてを拒絶するような冷たい声でさえぎった。
「この件はここでいったん終わりといたしましょう。ただし次に何かあればすべて明るみに出します。善財さん、証人になっていただけますか?」
ウタちゃんが「はい」とうなずいて、話し合いは終わった。


 応接室を出ても、すぐに教室に戻るきになれず、杏奈はゆっくりと歩いていた。ウタちゃんが杏奈の歩調にあわせて寄り添ってくれているのがありがたかった。
 先を歩いていた田鍋君が振り向いた。
「杏奈、あの教師の発言は気にするな」
「えーと……」
いろんなことが判明しすぎて、どのことなのかわからなかった。
「……下等と言われたことだ」
言いにくそうに田鍋君が言った。
「ああ、それね。平気よ。時々言われることあるから」
田鍋君がギョッとした顔になった。三山君もウタちゃんも驚いて杏奈を見る。
「でも担任の先生にはちゃんと覚えていてほしいよね。私は佐藤で加藤じゃないって」
田鍋君がキョトンとし、やがてプッと吹き出すと大爆笑した。
三山君は顔を背けて笑いをこらえ、ウタちゃんは杏奈に抱きついた。
「わたし杏奈ちゃんのこと大好きだわ」
わたしも、みんなのことが大好きと、杏奈は思った。
そして杏奈は決心がついた。

 その夜、荷物をまとめた杏奈は、三山君と田鍋君に今日までのお礼を言うため、母屋の邸宅へ出向いた。杏奈は仮住まいの庭師の家を出ていくことにしたのだった。
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