私と御曹司の始まらない恋の一部始終

第30話 それぞれの家に

「私たち姉妹弟のために、家を提供してくれてどうもありがとう。悩みから解放されて過ごすことができて、本当に感謝してる」
「だったらなぜ出ていく? 何か不足があるなら対処する。ワケを話せ」
三山家の敷地内にある元庭師の家を出て行くと杏奈が告げにいくと、田鍋ケイイチロウが驚いて杏奈につめよった。
「不足なんてなんにも」
「それなら」
「もう決めたから」
「……なぜだ」
納得しない田鍋ケイイチロウを引き止めたのは三山タイシだった。
「わかりました佐藤さん、ですが私たちはいつでもお待ちしていますので、何かあればすぐに相談していただけませんか?」
「ありがとう。そうさせてもらうね」
そういって杏奈は三山家を離れた。
でももう頼ってはだめだ。
杏奈を追い出そうとしていたのが門倉先生だとわかってショックも受けたが、同時に納得もしたのだ。S組に、支度金目当てで婚約者になろうとした自分が居続けていいはずはない。
雪華が学園に来なかったのはイジメでも学園に問題があったわけでもないとわかったし、最近は楽曲制作の合間に学園に登校している。杏奈がS組にいるべき理由はなくなった。
貼り紙のこともあって杏奈の事情を知る人も増えれば、杏奈をよく思わない人も出てくるだろう。まして三山家の敷地内の家を無償で貸してもらっているとバレたら何を言われるか。
杏奈が悪く言われるだけならいいけれど、もしも田鍋君と三山君までなにか言われてしまったら。それだけは避けたい。
 それに今はもう杏奈自身が変わった。
 たとえ家を失っても、秀礼学園をやめることになっても、きっと大丈夫と思えるようになった。田鍋君、三山君、ウタちゃん、雪華、ゆりぴょんが心の底から杏奈をおもっていてくれるから。そんな人たちに迷惑をかけないようにしたい。
 あと……杏奈は心の奥のフタをそっとあける。
 田鍋ケイイチロウと三山タイシにラーメンをご馳走した日、並んで母屋に帰る二人を杏奈はずっと見送っていた。
二人は杏奈が見ていることに気が付かなかったのかもしれない。もしくはだいぶ離れたから大丈夫だと油断したのかもしれない。三山タイシが田鍋ケイイチロウの手を握り、二人が目をあわせ、手をつないで帰っていったのを杏奈は見た。
ここにはもういられない。なぜかそう強く思った。
 響と游に、引っ越しや転校をどう説明すればいいかまだわからないけど、あの子たちもきっと大丈夫。何があっても私が守っていく。田鍋君たちが私を守ってくれたように。
 まずは実家にもどってアパート探しを始めないと。17歳の私が借りられるのかな。保証人っているのかな。でもまずはお金? だとすると秀礼学園を退学して払い込み済みの学費を返してもらうほうが先? 調べないといけないことが多すぎる。とにかく1度かえってゆっくり考えよう。

 
 三山大紫は何もする気がおきなかった。
これが絶望ということだろうか。なぜ杏奈は出て行ってしまうのか。自分が気が付かないところで杏奈に負担をかけてしまっていたのか。考えればいくらでも理由が思いつき、けれどどれも正解とも思えず、また別の理由を考えて時が流れていく。
 ノックがして圭一郎が入って来た。
「大紫様、そろそろご入浴されてはいかがでしょうか」
「悪いがそんな気分ではない」
「シャワーだけでもいかがでしょう。シャワーならこのお部屋から出ずにすみますし」
三山大紫の部屋にはシャワールームもついていた。
「洗い流せばさっぱりいたしますよ。髪はまた私が乾かしましょう」
いつもなら、圭一郎に髪を乾かしてもらいながら、口にできかねることを話してすっきりするところだ。だが今の大紫は弱り切っていた。
「今日はもう疲れてしまった。明日にしよう」
「さようでございますか。ではホットミルクかココアなどお作りしましょうか」
「何もいらない。圭一郎、俺にはもう何もなくなってしまったのだ。失うとはこんなにもつらいことなのだな。いや違うな。俺は得てすらいなかった。傲慢だったのだ」
「大紫様そんなことは」
「しばらく一人にしてもらえないか」
大紫は頭を抱えた。人生には思うようにならぬことがある。それは人の気持ちだ。思えば最初から佐藤杏奈は三山タイシのふりをした圭一郎のことばかり見ていた。だがそれは三山家の婚約者になる必要があっただけで、本当の想い人は他にいると言った。杏奈の窮状を知って大紫は手をさしのべたつもりでいたが、杏奈はそれさえも拒んで出て行った。杏奈にとって自分は必要のない人間だった。怪我をした自分を心配していたのも、ラーメンを作りにきてくれたのも、ただ杏奈が人として優しかっただけで、大紫に特別に向けられたものではなかったのだ。そんなことにも気が付かず俺は……。
 ふと顔をあげると、圭一郎がまだドアの近くに立っていた。
「どうした?」
圭一郎の顔が青ざめているような気がした。
「大紫様。しばらく実家に戻ってもよろしいでしょうか」
そういえばイギリスから帰国してから圭一郎はずっとこの母屋の、大紫の部屋の隣にある部屋で過ごしていた。両親とまとまった時間を過ごしていなかったかもしれない。顔色が悪いのは疲れが出ているからだろうか。
「もちろんだ。ゆっくり休んだ方がいい。田鍋家のご両親によろしく伝えてくれ」
「では失礼いたします」
圭一郎が出て行ったのを見届けると、大紫はまた悲嘆にくれた。


「ちょっとあなたたちどこに行ってたの?」
のんびりとした問いかけに唖然とする。
「ママ!」
響と游が喜びいっぱいに抱きつきに行く。
別の家を探すにもとりあえず荷物をもう一度まとめ直そうと実家に戻ってみたら、鍵があいていて、玄関に母がでてきたのだ。
「ママこそ今までどこにいたの?! パパは?!」
「なんだなんだ、お、3人でどこに行ってたんだ?」
奥の部屋からパパも出てきた。
嘘でしょ? 杏奈は目の前の光景が信じられなかった。
「お腹空いてる? お土産のお菓子があるから手を洗ってきちゃって」
「わーい」
響と游が競うようにかけだしていった。
「杏奈、なにぼーっとしてるの」
「ちゃんと説明してよ!」
のんびりした母にイラついて杏奈は大きな声が出た。
「え?」
「何か月も連絡くれなくて、私がどれだけ心細かったか。借金取りがきて家を出て行けって言われて……電気がとまりかけたことだってあるんだよ!」
「え? ええ?」
ママがびっくりした声をあげて、パパと顔を見合わせた。

 一晩かけて、杏奈は両親から事情を聞いた。
両親のラーメン店がチェーン展開し軌道にのったあと、ムシュランの星をとらせるとブランディングコンサルタントがやってきた。そのコンサルに言われるがまま、よくわからないパーティーに参加したり、店に飾る絵画を購入したり、環境保護団体へ多額の寄付をしたりしたがムシュランの星はつかず、詐欺だとわかった。しかも絵画は偽物で、環境保護団体もコンサルタントの仲間が代表をつとめる実績のない団体だったらしい。
両親は奪われたお金を取り戻すためコンサルタントを追いかけて香港へ渡った。その間の杏奈ら子供たちの生活や、店の経営は、専務にすべて任せていた。
 だがここから想定外の連続が始まる。
 詐欺師コンサルタントを追いかけて向かった香港で、本場の中華料理を堪能した両親は、新しいラーメンスープの開発に乗り出してしまった。
まず見つけたのは、フカヒレならぬフカ骨。この骨で新しいスープを作ることにした。さらには雲南省でのみ採取できる幻のキノコを求めて山奥への旅を決行した。この時すでに詐欺師をつかまえる目的のことはすっかり忘れていたらしい。
「飲んでみなさい」
パパに言われ、黄金のように輝くスープをれんげですくう。松茸のようなかぐわしい香りが鼻をくすぐる。一口のんで杏奈は驚いた。
「……おいしい!」
「だろう」
パパが満足そうにうなずく。
豚骨とも鶏ガラとも違う、ふくよかで上品な味わい。これがフカ骨のスープか。
そのうえにこの香り。幻のキノコの香りだろうか。
「おいしいだけじゃないのよ、このキノコは栄養価も高いんだから」
ママが嬉しそうに補足した。
 両親はこの幻のキノコを求めて、ネットも使えない山奥に滞在。小さな集落で暮らしながらキノコの見つけ方、調理法を学び、輸入できるよう粘り強く交渉を続けたという。
ようやく話がまとまり前金を払おうとしたが会社と連絡がつかない。そこで異変に気が付けばよかったのだが、会社も忙しいのだろうと、自分達の銀行口座からお金を支払った。
 まさか会社を任せていた専務が会社のお金を持ち逃げし、会社の借入金が銀行からいつのまにか性質の悪い回収屋に譲渡されていたとも知らなかったという。その上、自分たちの銀行口座のお金を全額引き出したので杏奈たちの生活がたちゆかなくなったこともまったく知らなかったらしい。
「ごめんね。こんなことになっているとは全然知らなかったのよ」
ママが目に涙をためて謝っているのを見ると、怒るに怒れない。
両親のことはよくわかっている。二人とも世界一おいしくて体にいいラーメンを作るのが夢で、杏奈は小さい時から、厨房で試行錯誤を重ねる両親の姿をみてきた。この二人なら、詐欺師を捕まえることよりも幻のキノコを追いかけてしまうだろうし、キノコを手に入れるまで他の事は目に入らなくなるだろう。
「でもこれからどうするの? 借金を返さないとこの家はとられちゃう」
「引っ越すしかないだろうな」
あっさりとパパが言う。
「心配するな、フカ骨とこのキノコを使った新しいスープでもう一度始めるんだ!」
「そうよ、絶対うまくいくわよ」
パパとママの明るい笑顔に、杏奈は呆れてしまうけどホッとする。
頼り甲斐があるのかないのかわからない両親だけど、そばにいてくれるだけで安心する。これからはちゃんと文句も言えるし、意見も出来るし、感謝もできるんだ。

そして杏奈は秀礼学園のA組に戻ることになった。

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