チークタイムが終わる前に ー 恋なんてないと思ってた私に舞い降りた声
 店を出ると、夜風が少しひんやりしていた。
 志保は深く息を吸い込み、胸の奥の重さが少しずつ軽くなっていくのを感じた。
 隣を歩く片岡も、黙ったままポケットに手を入れている。

 しばらく並んで歩いたあと、志保が口を開いた。

「……さっきは、すみません」
「何がです?」
「踊りながら泣くなんて。恥ずかしいです」
「恥ずかしいことなんて、ないですよ」

 片岡の声は淡々としていた。
 けれど、その淡さが志保には救いだった。

「……仕事柄、弱音を吐けなくて」
「人の命を扱う仕事ですよね。強く見せなきゃいけない。でも、人間なんだから」

 志保は立ち止まり、街灯の下で片岡を見上げた。
 その瞳は真っ直ぐで、けれど押しつけがましくはない。

「片岡さんは……どうして、店をやめずに続けてこられたんですか?」

 少しの沈黙。
 片岡は夜空を見上げてから、静かに答えた。

「……ここをやめたら、自分が自分でいられなくなる気がして。誰かにとっての場所、って言ったけど、実は一番必要としてたのは、僕自身なんです」

 その言葉が胸に染みる。
 自分にとって踊ることがそうであるように。

「……似てますね」
 志保は小さく笑った。
「私も、踊るのをやめたら、自分が崩れちゃう気がして」

 二人はしばらく黙って歩いた。
 それでも沈黙は苦しくなく、むしろ同じリズムを刻んでいるような安らぎがあった。

 駅の手前で、片岡が立ち止まる。
「……もしよければ、これからも。踊れない夜でも、来てください」

 志保は一瞬言葉を失った。
 けれど、胸の奥から素直に答えが浮かんだ。

「……ええ。たぶん、また来ます」

 彼の表情に、微かな安堵と、照れくさそうな笑みが重なった。

 志保はそれを見て、心の奥に温かい波紋が広がっていくのを感じた。
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