チークタイムが終わる前に ー 恋なんてないと思ってた私に舞い降りた声
 バンドが奏で始めたのは、軽やかなミディアムテンポのナンバーだった。
 前回のチークタイムよりも、少し弾むようなステップ。

 片岡が手を差し出す。
 志保は一瞬だけためらい、けれど笑みを浮かべてその手を取った。

「今日は、赤いスカートなんですね」
 リズムに合わせてステップを踏みながら、片岡が静かに言った。

「……前から持ってたものです。久しぶりに、出してみました」
「よく似合ってます。……そう言うと、また来づらくなりますか?」

 志保は思わず吹き出しそうになった。
「そんなことありません。褒められて、照れる性質でもありませんし」

 ステップが軽く回転に変わる。
 彼の手の動きは、過不足なく、安心感のあるリードだった。
 まるで「自分のリズムでいい」と言われているような。

「一人で来るのは、慣れてますか?」
 片岡の問いに、志保は少しだけ視線を落とした。

「ええ……もう、ずいぶん」
「それは、いいことでもあって、少し寂しいことでもありますね」

 その言葉に、胸の奥を小さく突かれた気がした。
 彼はただ社交辞令で言っているのではなく、本当にそう思っているような声だった。

「あなたは……ずっと、ここで?」
「ええ。店を始めて20年になります」
「長いですね」
「でも、不思議なんですよ。お客さんの中には、長くても3年くらいで顔を見なくなる人も多い。……でも、あなたは変わらずに踊ってる」

 志保は、返す言葉を一瞬見つけられなかった。
 ――見ていたんだ……本当に

 曲が終わる直前、片岡が少しだけ手に力をこめる。
 それは離すためではなく、最後の一拍まで“ここにいてほしい”と伝えるような握り方だった。

 演奏が終わり、拍手が響く。
 二人は手を離し、軽く頭を下げ合った。
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