チークタイムが終わる前に ー 恋なんてないと思ってた私に舞い降りた声
 フロアを離れ、志保は水を一口飲んだ。
 踊り終えた身体には、まだ心地よい熱が残っている。
 すると片岡が、カウンター席を指し示した。

「よかったら、少し座って話しませんか」
「……ええ」

 木目のカウンターに腰を下ろすと、ほのかに磨かれた木の香りと、近くで温められたシナモンの甘い匂いが混ざっていた。
 片岡は手慣れた動きで、志保の前にジンジャーエールを置く。

「お酒は、あまり飲まないんですよね?」
「ええ。酔うと帰れなくなりますから」
「ここは駅から遠いですしね。……でも、踊るときのあなたは、酔ってるみたいに見える」

 志保は思わず笑ってしまった。
「褒め言葉として、受け取っておきます」

 片岡は軽くうなずき、グラスの縁を指でなぞった。
 その仕草が、夜の静けさに似合っていた。

「さっきも話したけど、この店、もう20年になるんです」
「長いですね」
「始めたときは、どうなるか分からなかった。バンド仲間がやめていって、結局ひとりになって……でも、この場所だけは残したかった」

 志保は、その言葉に少し胸が詰まる感覚を覚えた。
 ――似てる……私が、一人になっても踊り続けたのと

「じゃあ、ずっとここで?」
「ええ。でもね、常連も少しずつ減っていく。いつか、この店も静かになるのかな、って思うこともあります」
「……それでも、続けるんですか?」
「続けたい。ここは、ただ音楽を流すだけの場所じゃない。誰かが、自分を取り戻せる場所だと思うから」

 その言葉に、志保はグラスを握る手に力が入った。
 まるで、自分のために言われたような気がして。

 カウンターの上のライトが、二人の間だけを柔らかく照らしている。
 店内のざわめきが遠くに感じられた。

「……また、来ます」
 気がつけば、志保はそう口にしていた。
 片岡は少し驚いたように目を見開き、それからゆっくり笑った。

「楽しみにしています」

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