音の放浪者
そう、私がこの学校への入学を決めた理由は正にこの学校の軽音部の存在にある。


私の父は有名なオーボエ奏者であり、作曲家だった。


7歳のとき、私は父の真似をするようにオーボエを始めた。

他にも色々な楽器を始め、どの楽器もそこそこまでは吹けるようになったが、私の心を掴んで話さなかったのはオーボエだった。

私はそのままのめり込むようにオーボエに夢中になり、中学は全国大会常連校の桐生中学校に入学した。


そこで私は勿論オーボエを希望したがオーボエ奏者は既に必要な人数が揃っており、私はオーボエパートに就くことが出来なかった。


そこで最終的に決定したパートというのがコントラバスだった。

始めこそ大きいし重いし、手は直ぐに痛くなってしまって大変だったが、コントラバスを通して分かったことがあった。


それは、
“私が音楽で美を感じるのは低音”
という事。

オーボエが嫌いになったという訳ではなくむしろ大好きなままで、

そしてこの低音との出会いが、私を大きく変えてくれたのだ。


そして本題の軽音部に入ろうと思ったきっかけだが、こちらもコントラバスと深く関係がある。

中学の文化祭で演奏をする機会があり、その時に私はベースと出会った。

コントラバスとベースは運指がほぼ同じであり、曲を演奏する際にベースを弾く場面があった。

ベースを演奏しているうちに、ベースの格好良さに目覚め、高校では軽音部に入ろう、と私は心に決めたのだ。
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