あやまちは、あなたの腕の中で〜お見合い相手と結婚したくないので、純潔はあなたに捧げます〜
 ──春の陽光が、早乙女家の庭を柔らかく照らしていた。

 三月。花の蕾がほころび始める麗らかな季節。
 庭の花壇には、スミレの花が二人を祝福するかのように咲いている。

 この日、早乙女家の敷地内にある小さな社──代々、家の守護を祈って建てられたその神前にて、ひなと慶一郎の婚礼が執り行われた。

 白無垢に身を包んだひなは、小さく歩を進める。
 緊張と感慨が胸の内でせめぎ合いながらも、慶一郎と繋いだ手の温もりが、確かな支えだった。

 参列者の列には、関西から駆けつけた河井嘉一ととらの姿もあった。
 慶翔は、慣れない正装にそわそわしながらも、「おかあさん、きれい……」と呟いて、山根とともに参列者の一番前に立っている。

「……きれいだ」

 慶一郎が優しく微笑みながら、ぽつりと呟く。その声は、どこまでも真っ直ぐで迷いがなかった。
 ひなは熱くなる頬を伏せながら、囁くような声で言う。

「ありがとうございます。……慶一郎様も、とても凛々しいです」

 二人は目を合わせ、言葉を交わすより深く、微笑みで想いを確かめ合った。

 神職の先導で、庭に設けられた祭壇の前へと歩を進める。
 二人のすぐ後ろを歩くのは、黒留袖に身を包んだ清栄だった。
 かつてはこの縁を許さなかった彼女が、いまは一族の長として──そして母として、誰よりも二人の門出を見届けようとしている。

 この数ヶ月、清栄は緩やかに変わっていった。
 早乙女製薬の再建に心血を注ぎ、未来を真摯に築こうとする慶一郎とひなの姿に、長く凍てついていた心が解けていったのだ。
 二人が祭壇の前にたどり着くと、清栄はゆっくりと参列者の中へ戻っていく。

 神職が祭壇の前に進み、厳かに祓詞(はらいことば)を唱える。
 澄んだ声が、静まり返った社殿に響き渡り、ふたりの身と心を清めていく。
 ひなは目を伏せ息を整えた。

 続いて、神職が祝詞(のりと)を奏上する。

「本日ここに、早乙女慶一郎殿、藤田ひな殿の結婚を、神前にご報告申し上げます」
 
 その言葉が空へと昇り、天地に誓いを告げていくかのようだった。

 そして、神前に三つの盃が並べられた。
 慶一郎が最初の盃を口に運び、ついでひなが同じ盃を受ける。
 二つ目、三つ目の盃も、互いに交互に酌み交わしながら口にする。
 盃を重ねるごとに、二人の心が結ばれていくのを、ひなは確かに感じていた。

(──慶一郎様となら、どんな困難も越えていける)
 
 ひなは胸の奥で、密かにそう思った。

「では、誓詞を」

 神職の声に導かれ、ふたりは神前に向かって、誓いの言葉を述べる。

「私、早乙女慶一郎は、妻を敬い、共に歩み、いかなる時も隣に在ることを誓います」
「私、藤田ひなは、生涯をかけて夫を支え、家を守り、真心を尽くすことを誓います」

 まっすぐな二人の声が、春の空に清らかに響きわたり、参列者から盛大な拍手が起こった。

 慶翔も小さな手で拍手をしている。
 清栄はその肩にそっと手を添え、目元にやわらかな笑みを浮かべていた。

 披露宴の後には、ひなが手作りしたセイレン軟膏の小瓶が引き出物として配られた。
 
「この薬のように、皆さまの心にも、優しさが沁みわたりますように」

 やがて儀式は幕を閉じた。
 視線を交わすだけで、すべてが伝わる。
 ひなと慶一郎は、ようやく「夫婦」になったのだ。

 その時、二人の間に慶翔がにこにこと笑いながら割り込んできた。
 
「おとうさん、おかあさん!」
 
 その一声に、ひなの胸が熱くなる。
 しかし、それ以上に強く心を揺さぶられたのは慶一郎だったようだ。
 その瞬間、彼が慶翔を力強く抱き上げる。

「慶一郎様、お召し物が……」

 慶翔の靴の汚れが真新しい紋付袴についてしまう。
 そう、口にしたひなに、彼は小さく首を横に振る。

「構わない」
 
 感情を表に出すことなど滅多にない慶一郎が、今はただ、父親としての喜びに身を委ねていた。
 その姿を見て、ひなは思う。
 ──ようやく三人で、本当の家族になれたのだ、と。

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