私の年下メガネくん
終業時間をとうに過ぎたのに、楓子はノートパソコンと格闘していた。
きっかけは夢華だ。
『人生を左右する重大な用事があるので、帰りまーす!』
大声で宣言したのが定時の五時半。
『まだ書類終わってないよ、今日までだよ!』
もうひとりの事務が叫ぶが、
『あとは任せました! ではでは~!』
夢華はさっさと出て行った。
『自衛隊員との街コンでしょ! 私だって今日が初めての結婚記念日なのに!』
叫んだ事務の彼女に、フロア中の同情の目が注いだ。
見ていられずに手伝いを申し込み、慣れない作業に四苦八苦しながらふたりで七時に終えた。レストランの予約に間に合う、と彼女は何度も礼を言って帰って行った。
そこからは気分転換にフリースペースに移動し、ノートパソコンで仕事を再開した。
気がつけば九時で、きりをつけてバンスクリップをはずし、テーブルに置く。
丸が連なる黄色い照明が温かく、ほっこりする。窓際にはアレカヤシが葉を広げていて、あれがなかったらこのフロアにひとりでは寂しかっただろうな、と思う。
「帰ろ……」
はあ、とため息をついたときだった。
「花蔵さん」
びくっと振り向くと、葵が目を丸くして立っている。仕事の時間じゃないからかネクタイをはずしていて、青みを帯びたシャツを肘までまくっている。
「風屋くん、帰ったんじゃ……」
「社用タブレットを忘れたので取りに来ました。明日は朝から商談先に直行なので」
「そうだったんだ」
ふふっと笑うと、彼の表情もやわらかに和んだ。