組長さんと年下彼女~今日から同棲始めます~
玲奈(れいな)……」
 眉間にしわを寄せた京介が目の前の女性のものと(おぼ)しき名を苦々し気に吐き出せば、
「もぉ~。相良さんってば最近こっちから連絡しても全部スルーだしぃー、玲奈、すっごくすっごく寂しかったんだからぁー!」
 玲奈と呼ばれた女性が、京介の不機嫌さなんて意に介した風もなくにっこり微笑む。

 玲奈の長い髪が赤茶の艶をまとって、冷たい風にふわりと揺れる様は、たくさんの人々が行き交う冬の街の雑踏の中でも、ひときわ目立っていた。
 吹き付けてくる風に乗って漂ってきたのは、玲奈が纏う香水のにおいだろうか。果実のように瑞々(みずみず)しくて甘い香りは、まるで今が食べ時だよ? と誘い掛けているようだった。
 玲奈が身に着けた深いボルドー色のコートは、ウエストのくびれを引き立てるデザイン。胸元がV字に切り込まれたセーターから覗く豊かな胸の谷間もとても蠱惑的(こわくてき)で、同性の芽生から見ても思わずドキッとしてしまうような妖艶さだった。
 玲奈が動くたび、彼女の耳元で揺れる大ぶりのピアスが、陽光を受けてキラキラと光る。
 その立ち姿も仕草も、〝女性〟であることを全力で誇示し、謳歌しているようだった。
 芽生と同じように小柄な身体と幼い顔つきなのに、メイクの仕方もあるんだろう。玲奈は、自分とはまるで別の生き物みたいに見えた。
(男性の視線を集める方法を、この女性(ひと)は知ってるんだ……)
 玲奈と同じぐらいの大きさをした自分の胸が、服の上からでも目立ってしまうのが恥ずかしくて堪らない芽生と違って、彼女はそれを男性を(とりこ)にする武器として使いこなしている。芽生は玲奈を一目見るなり、そんな風に感じた。

 コロコロと表情を変える玲奈の笑顔は可愛らしいのにどこか計算高さが滲んでいて、その目が時折芽生を品定めでもするかのように流し見てくるから、芽生は居た堪れなさに小さく縮こまってしまう。

「ねぇ、そっちの子、ひょっとして相良さんの新しい《《「セフレ」》》?」
 クスクス笑いながら投げかけられた言葉は、芽生のことをどこか小馬鹿にしているように感じられた。
「うーん。確かに相良さん好みの巨乳ちゃんだけど……なんでかなぁ? 信じられないくらい色気が感じられないよね? ねぇ、相良さん! 同じような体型なら、絶対そんな子より玲奈の方があなたのこと、満足させてあげられると思うよ? そうでしょう?」
 玲奈は猫のような目で京介を見上げると、遠慮なくその腕に手を伸ばした。
「玲奈ね、相良さんに愛してもらった日のことが忘れられないの」
 芽生のことなんてまるで眼中にないかのように、目の前で甘えた声を出した玲奈が、
「ねぇ、《《京介》》さん。あなたもでしょう?」
 芽生ですら呼んだことのない〝京介〟という名前。それを得意げに口の端に乗せて、京介の胸元へ顔を寄せようとする。
 芽生は呆然とそれを見つめながら、心の中で懸命に『やめて!』『京ちゃんに触らないで!』と叫んだ。
 だが、玲奈の指先が京介に触れる寸前、京介が彼女の手をスッと(かわ)す。
 芽生が思わず見上げた京介の表情は、氷のように冷たかった。
「……何度か寝たくらいで何を勘違いしてんのか知らねぇが……俺、てめぇに下の名で呼ぶ許可を与えた覚えはねぇんだがな?」
 芽生は、前に京介のこういう声を聞いたことがある。あれはたしか、家を焼け出された夜。京介が電話で千崎(せんざき)雄二(ゆうじ)を責めていた時と同じ――。
 芽生が京介の変化に立ち尽くしたまま動けずにいたら、京介の手が伸びてきて、芽生の腕を取った。
「行くぞ、芽生」
 言って、さっさと(きびす)を返した京介に、だがハッキリと彼から拒絶されたはずの玲奈は納得がいかないらしい。さらに縋りつくように一歩詰め寄ってきた。
「どうして玲奈のこと、そんな邪見に扱うの? 相良さん、ちょっと前まではどんな女の子にも平等に優しかったじゃない! だから玲奈もあなたのこと、沢山悦ばせてあげようって思えたのに!」
 キッ! と京介を睨みつけるようにして投げつけられた玲奈の声音は、さっきまでのような甘ったるい猫撫で声とは一変、嫉妬の滲む醜いものに変わっていた。
「玲奈、相良さんのことが忘れられないの! ここ数ヶ月、電話しても出てくれなくなっちゃったのは何で!? 玲奈、相良さんを怒らせるようなこと、何かした!? それともやっぱり、そこの女のせい!?」
 悲痛にすら聞こえるその金切り声は、怒りの矛先を芽生へと転じた。芽生は肌を刺すような敵意に、耳を塞いでその場にしゃがみ込みたくなる。でも京介に片手をギュッと握られていて、叶わないのだ。
 玲奈に比べたら、自分が女性としての魅力で劣っていることなんて、分かりすぎるくらいに理解している。
 でもこの数ヶ月間、京介があんなに綺麗な人を無視していた理由があるとすれば、それはやっぱり自分のためなのだ。
(私が……京ちゃんを独り占めしてたから……?)
 かつて京介にとって、芽生は娘みたいな存在だった。
 だから家を焼け出されていき場を失った芽生を、京介は放っておけなかったのだ。
 今は女性として見てくれていると言ってくれるけれど、その自信すらぐらりと揺らいでしまう気がして、芽生はすぐさまこの場から逃げ去りたい衝動に駆られる。これ以上、玲奈の言葉を聞いていたら、京介の横に立っていていいと思えるなけなしの矜持(きょうじ)が、根こそぎ奪われてしまう気がした。
「その女の何がよくて一緒にいるの!? 相良さんみたいに女の子の身体のこと、熟知した抱き方をしてくれる男の人なんて滅多にいないのに! その子だけ貴方を独り占めしてるだなんて……ずるい!」
 それはきっと《《そういう》》意味での話だ。さすがに性体験のない芽生にだって、ここまであからさまに言われたら分かる。
 そうして、そんな〝手練(てだ)れ〟の京介が、芽生に対してはそういうことを仕掛けてくる素振りなんてなかった。
「玲奈さんは……おいくつですか?」
 不意に、彼女は若く見えるけれど、実は自分より年上なのかも知れないと淡い期待をしてしまった芽生である。
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